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注意の自由

脳はすすんでだまされたがる  マジックが解き明かす錯覚の不思議『脳はすすんでだまされたがる』を読んだ。本書のテーマは手品と神経科学。手品のトリックを神経科学の観点から説明しているところもあれば、神経科学が手品から学んでいるところもある。

錯覚を科学的に扱っているという点で『最新脳科学でわかった 五感の驚異』と通じるものがある。共通の例もちらほら出てくる。それから、『錯覚の科学』については直接言及している。

注意を向けていないと、感覚としては受け取っていても意識できない、ということが本当によく分かる。注意を向けていないところでは、何か起こっても気がつかないから、そこに注意が戻った瞬間に驚くことになる。事実がどうか? ではなく、それを見た人がどう感じるか? がポイントだ。となると、観客の目に晒され続けてきた手品に一日の長があるというのも分かる。

逆に、どうすれば注意がそこに向くのか? と考えると、事故防止に応用できるはず。『となりの車線はなぜスイスイ進むのか?』で、近づいてくる車が見え続けてその刺激に順化してしまう見晴らしのいい交差点より、街路樹などで見えたり見えなかったりと変化がある交差点の方が、気がつきやすいというエピソードがあったことを思い出す。

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『ゴールデンカムイ 15』、『〃 16』を読んだ。16巻を読み始めてから、15巻を買ったものの読んでいなかったことに気がつく。Kindle版の予約注文ではままあること。 15巻は「スチェンカ・ナ・スチェンク」、「バーニャ(ロシア式蒸し風呂)」と男臭いことこのうえなし。軽くWebで調べてみたところ、スチェンカ・ナ・スチェンク (Стенка на стенку) はロシアの祭事マースレニツァで行われる行事のようだ[1]。それなりになじみ深いものらしく、この行事をタイトルに据えたフォークメタルStenka Na StenkuのMVが見つかった。 16巻では杉元一行は巡業中のサーカスに参加することになる。杉元と鯉登の維持の張り合いが、見ていて微笑ましい。鯉登は目的を見失っているようだが、杉元もスチェンカで我を失っていたので、どっこいどっこいか。なお、サーカス/大道芸を通じた日露のつながりは、実際にもこのような形だったようだ[2]。 個々のエピソードから視線を上げて、全体の構図を眺めてみると、各勢力がすっかり入り乱れている。アシㇼパは尾形、キロランケ、白石とともにアチャの足跡を辿り、そのあとを鶴見のもとで家永の治療を受けた杉元が鯉登、月島を追っている。今更だけれど、杉元やアシㇼパは、第七師団と完全に利害が衝突していると考えていないはずだった。一方で、土方一味も入墨人皮を継続。むしろ彼らの方が第七師団との対立が深刻だろう。さらに北上するキロランケはまた別の目的で動いているようだけれど、なんで尾形も一緒なんだっけ? 『進撃の巨人』に引き続き、これもそろそろ読み返す時期か。 [1] 5つの暴力的な伝統:スラヴ戦士のようにマースレニツァを祝おう - ロシア・ビヨンド [2] ボリショイサーカスの源流は、ロシアに渡った幕末日本の大道芸人たちにあった 脈々と息づく「クールジャパン」 | ハフポスト

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