『ブラック・スワン[上]』を読んだ。
『ブラック・スワン[下]』は既に読んでいるけれど、[上]も読んで良かったと思う。
人は何かとパターンを見つけがちだ。
あるいは、ありもしないパターンを作りがちだ。
これはロックだとかこんなのはミステリィじゃないとか、はた迷惑な議論をそこかしこで見かける。
それでいて、ロックとかミステリィの定義に共通理解はない。
ラフ画にペン入れすると下手になった気分になるのと同じだ。
明確に一線を引かなければ、めいめいが好きな線を選ぶ。
もっと言えば、線なんて見ていない。
いや、何も見ていない。
ミロのヴィーナスが美しいのは、手がないのと同じだ。
なければ、そこに理想のものがあると仮定できる。
面白いのは、多くの場合、理想自体は後にも先にも仮定の中にも存在しないこと。
仮定できるのは、理想のものがあることだ。
理想があることを想像することと、理想自体を想像することは違う。
理想自体を想像できるのは、作り手側に属するときだけだと思う。
『ブラック・スワン[下]』は既に読んでいるけれど、[上]も読んで良かったと思う。
人は何かとパターンを見つけがちだ。
あるいは、ありもしないパターンを作りがちだ。
いい加減な分類がどれだけ傍迷惑か思い知りたければ、分類でできる塊が歴史上どれだけ頻繁に変更されたかを調べればいい。自分が多少なりとも囓っている分野だとロックとかミステリィは酷い。
これはロックだとかこんなのはミステリィじゃないとか、はた迷惑な議論をそこかしこで見かける。
それでいて、ロックとかミステリィの定義に共通理解はない。
ラフ画にペン入れすると下手になった気分になるのと同じだ。
明確に一線を引かなければ、めいめいが好きな線を選ぶ。
もっと言えば、線なんて見ていない。
いや、何も見ていない。
ミロのヴィーナスが美しいのは、手がないのと同じだ。
なければ、そこに理想のものがあると仮定できる。
面白いのは、多くの場合、理想自体は後にも先にも仮定の中にも存在しないこと。
仮定できるのは、理想のものがあることだ。
理想があることを想像することと、理想自体を想像することは違う。
理想自体を想像できるのは、作り手側に属するときだけだと思う。