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HDDとレアメタル

先日、テレビでルテニウムというレアメタルの相場が、日本の企業が開発した再生技術によって、劇的に変わったという放送を見た。

その時は何気なく見過ごしたのだけれど、これがHDDに使われているのを、これはもうダメかもわからんね インフラ系SEの波瀾万丈伝: 【EXTRA】恐慌突破!!で知った。

先週末に1TBのHDDが、1万円を切っているのを見て、物欲を刺激されたけれど、この価格には、ルテニウムの再生技術が貢献しているかもしれない、と考えると、感慨深いものがある。

簡単にウェブを調べてみると、IBMが2001年にルテニウムを使ったHDDを初めて実用化したというプレスリリースを発行しているのが見つかった。
PIXIE DUST
記憶密度4倍、最大容量400GBのHDDが実現へ
−新素材「ルテニウム」による多層磁気コーティング技術を採用−
IBM 記憶密度4倍、最大容量400GBのHDDが実現へ - Japan
ところで、このように技術的にトップを走っていたIBMのHDD部門も、2003年に日立の同部門と統合されて、HGSTになっている※1, ※2。

現在は、HDDの地位――PCの主要記憶媒体を、SSD(Solid State Drive) が占めつつあるように思う。すでに、Eee PCをはじめネットブックで使用され始めている。
あと、比較するものではないのかもしれないけれど、MicroSDカードも著しく値が下がっている。

SSDの方が軽くて速くて静かだから、容量あたりの価格が低くなると、ユーザとしては嬉しい。
HDDは壊れやすいし。

壊れやすいと言えば、HDDを4重化していたが、同時に壊れたことがあるという話を聞いた。
聞いた瞬間はそんなレアケースが発生したのか、と驚いたけれど、同じ製品の新品を、アクティブーアクティブで使い始めたのなら、最初に想像したより発生確率は高いだろう、と思い直した。
理由は、同時に同製品の新品を使い始めたら、同時にバスタブ曲線が上昇し始めるからだ。

※1 その日立も2011年3月7日にHDD部門をWestern Digitalに売却(2011年3月11日追記)。
※2 Seagateが2011年4月にSumsungの買収を発表。HDDメーカは、Seagate, Western Digital、東芝の3社になる(2011年4月21日追記)。

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