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何が人の行動を決めるのか

『最底辺の10億人』を読んでいる。

本書は、最貧国と呼ばれる国の多くに共通する要因について、述べている。
それらの国でガバナンスが悪化する理由の中に、2点、日本にも当てはまる理由があることに気がついた。

1.建設
建設には腐敗を招きやすい数々の要因がある。プロジェクトはそれぞれ一回かぎりのものであり、簡単には価格を査定することができない。事業の実施に当たっては多くの不確定な要素があり、経済学者が「完備契約」と呼ぶものを作成するのは不可能である。その結果、競争入札なら達成できるような規律をくぐり抜けるのは容易なことである。(中略)建設セクターでの腐敗がいかにインフラのコストを引き上げ経済成長を抑制するか、現在では数カ国を調査した信頼できる報告がまとまっている。
日本では、ゼネコンか。ITシステムにも同じ要因があり、ITゼネコンと呼ばれる業者が存在する点が興味深い。プロジェクトは腐敗を招くということか。

2.選挙費用
ナイジェリアの場合は大統領選挙は論外として、上院議員に選ばれるには五〇万ドルが必要となる。これでは政治が腐敗するのも当然である。これだけの資金を集めるためには、候補者は家を売り借金をしなければならず、勝利した場合でも投資を回収するのに四年はかかるだろう。
「選挙 費用」で検索すると、いくつかそれらしき情報に行き当たる。信憑性は定かではない。
高い選挙費用は、参入障壁として機能する。参入障壁は競争の激化を避けるために有効だ。それでも、市場では独占・寡占にならない限り、競争相手が存在するが、政治の場は、競争に勝った後の場だ。競争は少ないのではないだろうか。

そういえば、『ヤバい経済学 [増補改訂版]』で、選挙費用と結果の分析があったように記憶している。
確か、有意な関係は観察できなかったはずだ。

景気が悪くなっている理由を考え直した方がいいんじゃないか、と思った。
あと、モラルとか倫理とか精神論とか道徳論に限界を感じる。
浅はかだろうか。

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