きれいな絵、きれいなねーちゃん、きれいなヌード……きれいなもの、ぱっと見れば見た瞬間は気持ちいいです。が、2回見ますか? 不思議と2回、3回見ていいものは、きれいなだけのものでは絶対にないんですよ。自分が絵を描くときについて考えてみる。
「お前らの作品は所詮コピーだ」――富野由悠季さん、プロ論を語る (2/5) - ITmedia News
きれいなものをきれいに表現することが簡単になってきたと思う。
ツールがサポートしてくれるからだ。
ただ、ツールがサポートしているがゆえに、「なぜ」きれいに表現できるのか、分からない。
さらに言えば、「何が」きれいなのかも、分からない。
ツールを使えば、きれいに出来るからだ。
もちろん、出来上がったものを見て、それがきれいかどうかを評価することはできる。
でも、何かを表現しようとするときは、「なぜそれがきれいに見えるのか」あるいは「何がそれをきれいに見せているのか」を認識できるようになりたい。
ただ、過去エントリ――良いものは良いのかでも書いたように、
カワイイと思ったものを、カワイイと思って撮った時点で、カワイイ写真が撮れることになっている人は少なくない。
別にそれが悪いと言っているわけではない。
かわいいものは確かにかわいい(トートロジィだけれど)。
ただ、そうでないものにも、魅力を感じることがある。
かわいいものもそうでないものも、なぜそこに魅力を感じるのか考えるのは、面白い。
何てことを言っていると、絵を描きたくなる。
(じゃあ描けばいいじゃないか。こんなことを書いてないで)