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将来招来

『偶キャリ。』を読んだ。

成功例を集めたものを見ると、成功者の共通項は、必要条件だろうな、と思う。

しかし、"Planned Happenstance"の考え方は、悪くないように思う。
個人の将来は(ある程度以上の精度で)予測できないという前提は、あながち間違っていないように思う。

統計で、集合全体の振る舞いは予測できても、個々の構成要素の振る舞いは予測できないからだ。
例えば、統計力学では、気体(分子の集合)の振る舞いを予測できるが、個々の分子の振る舞いは予測できない。

しかしながら、キャリアプランニングに限らず、未来を予測したいという欲求は、今も昔も変わらないな、と思う。

未来を予測する唯一の方法は、予測した未来を自分で実現させることだ。
とは、誰の台詞だったか。

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