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『境界線上のホライゾン I <上>』

『境界線上のホライゾン I <上>』を読んだ。
今回も設定の量が多い。また、粒度も小さい。すなわち、密度が高い。
登場人物も多くて、まだ把握しきれていない(し、多分把握しきらないまま読み進めていく)。

だんだん明らかになっていったり、いかなかったり、読み落としたりするのだろうなぁ、と。
来月に発売される下巻『境界線上のホライゾンI<下>』が楽しみ。

のっけから中巻が出なくて一安心。下巻の定価が935円だが。

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