『プロパガンダ教本』を読んだ。
原著は、1928年――80年近く前に出版されたが、内容は古くなっていないと感じた。
ただ、訳者解説にあるように、主張は中立的ではない。
ところで、プロパガンダは、ターゲット層を大きくすればするほど、内容が画一的になっていく傾向にある。
あるいは、主張から実態がなくなっていくことだろう。
原著は、1928年――80年近く前に出版されたが、内容は古くなっていないと感じた。
ただ、訳者解説にあるように、主張は中立的ではない。
「プロパガンダという技術をプロパガンダする目的で書かれた」本なのである。それを踏まえて読んだ方が、安全だろう。
ところで、プロパガンダは、ターゲット層を大きくすればするほど、内容が画一的になっていく傾向にある。
一般的にいって、個人の教育と知識が向上すればするほど、個人の見解や趣味の相違がますますいちじるしくなり、特定の価値体系に対する個人の同意がいよいよ期待されにくくなるということは、ありそうなことである。これに反して、もしわれわれが高度の統一性と単なる外観上の類似性を求めようとするならば、より粗野で、より「平俗的」な素質と趣味が一般的であるところ、すなわち道徳的水準と知的水準のより低いところまで降らなければならない。従って、プロパガンダによるパイの奪い合いの結果、敵対関係にあるものが、段々似ていくことになる(この話は、『「分かりやすさ」の罠―アイロニカルな批評宣言』に出ていたと思う)。
『隷従への道―全体主義と自由』
あるいは、主張から実態がなくなっていくことだろう。
人々のしたがうべき価値の妥当性を、人々に受け入れさせる最も有効な方法は、人々または少なくともそのなかの最も善良なものが常に抱いていて、しかもこれまで適当に理解されず、また認められなかった価値と実質的に同じものであると説得することである。従って、長期的に見れば、何が主張したいのか分からなくなる可能性が高いと思う。
『隷従への道―全体主義と自由』