グレッグ・イーガンの『ゼンデギ』を読んだ。
これまで読んできた長篇[1]と違って、近未来の話。2015年の延長線上、きっとそう遠くない未来、人間の心/気持ち/思考/感情/人格のデジタル化に、まさに踏み出そうとしている人たちが描かれている。
心のデジタル化を扱う作品は珍しくない。だから、最初は肩透かしを食ったし、正直に言うと読み終わるまでその気分は抜けなかった。それは、これまで読んだ長篇のような、突き抜けたSFを期待していたからだと思う。特に第一部なんてとても地味だ[2]。
でも、訳者あとがきの次の一文に促されて第一章を読み返して、本書全体の見え方が一気に変わった。
遠くない将来、実際にこういうアプローチを経て、こんな葛藤を抱える人が出てきてもおかしくないと思わせられる。マーティンやナシムをとりまく人々と同じような反応をする人たちもきっと出てくるだろう。そのとき、自分はどう反応/思考するのか。
これまで読んできた長篇[1]と違って、近未来の話。2015年の延長線上、きっとそう遠くない未来、人間の心/気持ち/思考/感情/人格のデジタル化に、まさに踏み出そうとしている人たちが描かれている。
心のデジタル化を扱う作品は珍しくない。だから、最初は肩透かしを食ったし、正直に言うと読み終わるまでその気分は抜けなかった。それは、これまで読んだ長篇のような、突き抜けたSFを期待していたからだと思う。特に第一部なんてとても地味だ[2]。
でも、訳者あとがきの次の一文に促されて第一章を読み返して、本書全体の見え方が一気に変わった。
じつは第一章には本書のアイデアやテーマに関する重要な議論が先取りされているので、本書読了後に第一章をざっと眺めると膝を打つ部分があると思います。この本の面白さは、これまでのような派手なSF設定ではなくて、細部にある。最初の一線を越えようとしているまさにその瞬間を、最初の一線を越えるための技術的課題の回避方法と、一線を越えようとしているマーティンと一線を越えさせようとしているナシムの双方の視点が描かれている。現在のアナログデータをデジタルデータに変換するときの技術を踏まえた、その過程が細かなステップを踏んで描写されている。
遠くない将来、実際にこういうアプローチを経て、こんな葛藤を抱える人が出てきてもおかしくないと思わせられる。マーティンやナシムをとりまく人々と同じような反応をする人たちもきっと出てくるだろう。そのとき、自分はどう反応/思考するのか。