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渦中・火中 - 火星の人

火星の人 (ハヤカワ文庫SF)『火星の人』を読んだ。事故で火星に一人取り残された宇宙飛行士マークが、置き去りにされたわずかな物資と火星の資源と科学知識とユーモアで、何とか生き延びようと(基本的には)孤軍奮闘する話。

『ゼロ・グラビティ』と同じように、事態は(少なくとも自分のような素人目には)現実的な推移を見せる。つまり、およそ文明的なんて形容とはかけ離れた好戦的な宇宙人か地球の文明水準を遙かに凌駕した兵器を携えて襲ってきたり、宇宙の真理を究めた現(宇宙)人神みたいな種族がデウス・エクス・マキナとして降臨したりしない。

つまり、酸素と水素の混合気体に火が着けば爆発するとか、そうしたら水ができるとか、酸素が薄過ぎても二酸化炭素が濃過ぎても死ぬとか、水も食べ物もなければ餓死するとか、電気がなければ電子機器が動かないとか、過電流が流れれば電子機器が壊れるとか、そういう極めて現実的な問題でマークは死の危機に瀕する。そして、一度発生した危機が自然に解決したりはしないし、悩めるマークにどこからともなく救いの手がさしのべられたりもしない。なんたって、火星と呼ばれる惑星にいるのはマークただ一人だ。

そういう状況にも関わらず(あるいはだからこそ)、マークはユーモアを忘れない。そんなマークが魅力的で、読んでいる間、気分はすっかり(十二分遅れの映像を)見守る他ない地球のみんなの一人だった。登場人物が大量に死ぬ作品(ミステリィとかホラーとかB級パニックとか西尾維新とか)はちょくちょく読んだり観たりしていて、特にB級パニック映画なんか『あずまんが大王』のゆかり先生みたいなノリで楽しむくらいの趣味の悪さなんだけれど、この作品ではマークには生き延びて欲しいと願いながら読んでいた。

いやぁ、本当に良かった。マークに乾杯!!

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