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亜人GO - 亜人ちゃんは語りたい

亜人ちゃんは語りたい(1)
「『亜人(デミ)ちゃんは語りたい』を読んだよ。これタイトルは『ツァラトゥストラはこう語った』を参照しているのかね」

「ツァラトゥストラ=超人ですから、そうかもしれませんね」

「そういう堅い背景の有無はともかく、亜人――吸血鬼とかデュラハンとか雪女とかサキュバスとか――の日常生活にフォーカスしているって点で、『現代神話』に似ている。Amazonのカスタマーレビューにあるとおり」

『竜の学校は山の上』に収録されている作品ですね」

「うん、ファンタジーが日常化しているところが似ている。反対に、世界の命運を握るくらいのスケールだと、〈X-Men〉シリーズの人間とミュータントの対立になるのかね」

「そういう作品でも個人の問題も描かれていましたよね。ローグさんなんてまさに人間とミュータントの間で揺れ動いてましたし」

「あー、この漫画の作中世界はそんなシリアスじゃないから気楽だよなぁ」

「亜人に対する権利が確立されている様子ですよね」

「うん、政治的にはそんな感じ。でも、本人を含めて個人の意識としては被差別・差別意識は払底していない感じだけれど」

「その手の意識は根強いでしょうしね」

「漫画として読んでいるとほのぼのしている感さえあるけれど、本人にとってしてみたら切実なんだろうなぁ」

「それはそうです。口にした人には些細な言葉でも、耳にした人には刺さるものですよ」

「特殊能力者が迫害されるのは、よく描かれるよね。『マギ』のマグノシュタット編とか」

「反対に何でもないのがコンプレックスになる『僕のヒーローアカデミア』なんて例もありますよ」

「って考えると、どっちが多数派なのかってだけなんかね」

「そういう堅い話はさておき、みんなかわいいですよねー」

「色々と大変だったろうに、屈折せず屈託無くよく高校生まで来たよなぁ、と思う。亜人の存在以上のファンタジーじゃ……なんて思ったり思わなかったり」

「堅い!! 暗い!! 重い!! こうしてかわいいんだからいいじゃないですか!!」

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