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4月, 2015の投稿を表示しています

Let's 退屈 - 暇と退屈の倫理学

『暇と退屈の倫理学』を読んだ(既に 増補改訂版 が出ているけれど、読んだのは元の版)。やっぱりときどき退屈しよう、と改めて思った。もともとそんなに嫌いじゃない。 この本の「結論」にある次を恃みに、この本を読んだ後、上の思いを抱くに至った過程を書いてみる。 同じことを同じように説明しても、だれもが同じことを同じように理解するわけではない。 論述の過程を一緒に辿ることで主体が変化していく、そうした過程こそが重要であるのだから。 まず、〈退屈〉の説明の前提に使う〈本来性なき疎外〉という考え方について簡単に。この本にも書かれているとおり、〈本来性〉は暴力的だ。他者に〈本来性〉を備えていないと認識されると迫害や憐憫の対象にされるし、自分がそう認識すると自己嫌悪や劣等感に苛まれたりする。 この〈本来性〉と〈疎外〉は、退屈と深く関係している。〈本来性〉と関係ないことは、〈本来性〉に囚われている人を退屈させる。反対に自分の方が〈本来性〉と関係ない(=〈疎外〉されている)と、何となく退屈する。すべきことがあるのにできないときの退屈と、何をすべきか分からないけれど何かすべきことがあるはずと思っているときの退屈だと思う。 退屈には、この2種類の他に、「すべきことをしているはずなのに退屈」がある。これは〈本来性〉に囚われきっていないからこそ感じる退屈。簡単に言うと、心のどこかで他のことをすべきなんじゃないかと思っているときの退屈だと思う。〈本来性なき疎外〉の一例にあたるんじゃないだろうか。 この3種類の退屈は、連続していると思う。気分の問題だから簡単に移ろうだろう。移ろっているのが安全な状態と言える。特に最後の退屈を感じないということは、〈本来性〉に囚われきっている状態だから、自分にも他人にも危険だ。 というわけで、退屈から抜け出したいという欲求ならともかく、退屈自体の忌避という欲求には従わないようにしたい。 こんなところに辿り着いたのは、もともと、退屈をそんなに嫌っていなかったからか。何をするでもなく一人でいるのは、そんなに嫌いじゃない――むしろときどきはそうしたい(あるいはこれは定義の問題か。端からは一人で退屈しているように見えるだけで、自分は退屈していないのだから)。 以下は関連書籍の覚え書き。 『孤独の価値』 『〈リア充〉幻想』 『ひ

ただいま/おかえり - Lunkhead/家

Lunkheadの10枚目のフルアルバム『家』を聴いている。 1曲目"『地図→家』"が1stアルバム『地図』の1曲目"音"から繋がっているのが感慨深い。否が応でも10年前を思い出す。 10周年を昨年に迎えたとは思えない。このアルバムにも衝動溢れる曲が収録されている。10曲目"懺悔室"が中でも強烈。胸がえぐられる思いがする。 と思えば、次の"スターマイン"には心躍らされる。『地図』にこんな曲が入っていたらきっと違和感を覚えていただろうけれど、今はむしろ面白く聴いている。曲のバラエティは、この10年で広がってきたものなんだろうな、と想像する。 さらにその次、最後の12曲目が家の入り口である"玄関"というのがまた。

虚空に響く - Julian Casablancas + The Voidz/Tyranny

Julian Casablancas + The Voidzの"Tyranny"を聴いている。The StrokesのJulian Casablancasの新プロジェクトの1stアルバム。 形容しがたい。The Strokesの1stアルバム"Is This It?"で聴けるシンプルなガレージロックからは想像もつかない複雑さ。 でも引き込まれる。キャッチーな曲は1曲もないし1時間以上の長さだけれど、焦燥感だったり不安だったりそこからの解放だったりと、起伏が激しくあっという間。 そして、あっけなく訪れる終わり。恐いくらい。

改暦の歴史 - 天地明察

『天地明察』を読んだ。 数学とか天文学とか学術的な分野に傾倒していた主人公・晴海が、改暦という一大事業を通じて、政治的で経済的な視点も持つようになっていく過程がスリリング。 学術的な裏付けがあって技術的に優れていて現実に即していても、それでも、改暦のような大きな変化には、情緒的な不安とか既得権益の維持とか政治的な面子が生む抵抗が、実体と合わない慣習を維持させる。 それはそれで、合理的。少なくとも、短期的には。そんなわけで、変化を広めるのは本当に難しい。 だからこそ、利害関係者からの抵抗や同志あるいは家族との離別を乗り越えて、改暦を成し遂げた瞬間は感無量だった。 改暦に至るまで晴海を引っ張るのが、周囲からの信頼とそれへの応答というのが、また染みる。

定規vs消しゴム - のんのんびより8

『のんのんびより8』を読んだ。面白かったけれど、編集上の問題が2つあって興が冷める。勿体ない。 1つは台詞の位置。59話最後のコマのひかげの台詞が左端に寄り過ぎている。Amazonのカスタマーレビューによると、紙版だとページを閉じているところにかかって、読めないくらいらしい。自分が読んだのはKindle版だから読めはしたけれど、やっぱり違和感がある。連載時は問題なかったパターンかな。 もう1つは巻末の「キャラクターすぺしゃるインタビュー」で異なるキャラがまったく同じ回答をしている。回答がシンクロするようなキャラどうしではないから、ミスのように思える。 こんな問題を抱えてはいるけれど、Kindle版だと台詞が読めることもあって内容には満足。自分が子供だった時分には定規じゃなくて消しゴムで遊んでいたっけ。ばかでかい消しゴムが教室を席巻したりしたのが懐かしい。燕返し的な技もあったわ、そう言えば。

亜人GO - 亜人ちゃんは語りたい

「『亜人(デミ)ちゃんは語りたい』を読んだよ。これタイトルは『ツァラトゥストラはこう語った』を参照しているのかね」 「ツァラトゥストラ=超人ですから、そうかもしれませんね」 「そういう堅い背景の有無はともかく、亜人――吸血鬼とかデュラハンとか雪女とかサキュバスとか――の日常生活にフォーカスしているって点で、『現代神話』に似ている。Amazonのカスタマーレビューにあるとおり」 「 『竜の学校は山の上』 に収録されている作品ですね」 「うん、ファンタジーが日常化しているところが似ている。反対に、世界の命運を握るくらいのスケールだと、〈X-Men〉シリーズの人間とミュータントの対立になるのかね」 「そういう作品でも個人の問題も描かれていましたよね。ローグさんなんてまさに人間とミュータントの間で揺れ動いてましたし」 「あー、この漫画の作中世界はそんなシリアスじゃないから気楽だよなぁ」 「亜人に対する権利が確立されている様子ですよね」 「うん、政治的にはそんな感じ。でも、本人を含めて個人の意識としては被差別・差別意識は払底していない感じだけれど」 「その手の意識は根強いでしょうしね」 「漫画として読んでいるとほのぼのしている感さえあるけれど、本人にとってしてみたら切実なんだろうなぁ」 「それはそうです。口にした人には些細な言葉でも、耳にした人には刺さるものですよ」 「特殊能力者が迫害されるのは、よく描かれるよね。 『マギ』 のマグノシュタット編とか」 「反対に何でもないのがコンプレックスになる 『僕のヒーローアカデミア』 なんて例もありますよ」 「って考えると、どっちが多数派なのかってだけなんかね」 「そういう堅い話はさておき、みんなかわいいですよねー」 「色々と大変だったろうに、屈折せず屈託無くよく高校生まで来たよなぁ、と思う。亜人の存在以上のファンタジーじゃ……なんて思ったり思わなかったり」 「堅い!! 暗い!! 重い!! こうしてかわいいんだからいいじゃないですか!!」

王を追う - シンドバッドの冒険6

『シンドバッドの冒険6』を読んだ。 そろそろ折り返しなんだろうか。既に7つの迷宮のうち2つを攻略しており、本巻で八人衆のうち4人までが登場した。 前巻の感想でも書いたけれど、本巻でもあまりスリリングさがないのが残念。 アル・サーメンとの因縁とか描かれたりしないのかなぁ。

The Inextinguishable Fire - マギ25

『マギ25』を読んだ。前巻でアルマトラン編が完結して、本巻から煌帝国編が本格的に始まった。 始まったと思ったら、怒濤の展開。ようやくアラジン・アリババ・モルジアナの話が再開するかと思いきや、乱入したジュダルと彼が協力している白龍に全部持っていかれた感がある。 一方で、出番は少ないながらも態度を明確にしたアリババくん、いや……アリババも頼もしくなってきた。 一度は共に戦ったけれど、本巻で対極に位置することが明確になったアリババと白龍。それからずっと対称的に描かれてきたアラジンとジュダル。となってくると、鍵を握るのは、非対称な存在であるモルさん!!

めくるめく天久 - 天久鷹央の推理カルテ

『天久鷹央の推理カルテ』を読んだ。 とても読みやすかった。キャラクタの関係がライトノベルでよく見る構図――童顔の天才女医・天久に振り回される小鳥遊――だし、ミステリィでよく見る配役――ホームズ役=天久でワトソン役=小鳥遊――だからだと思う。加えて、小鳥遊視線固定の短篇連作だから、すんなり入れて短時間でキリがつく手軽さ。 表面上はテンプレを利用しているから読みやすいけれど、内容は普遍的な問題――医療に関する倫理や社会問題が扱われていて、読後感は割り切りがたい。特にKarte.03には胸に迫るものがあった(ネタバレしたくないので詳細は書かない)。 内容に直接触れないために「何でないか」書いてみる。まず、総合病院が舞台なだけあって、人の死なない日常系ミステリィではない。反対に、何人も記号的に死んでいく本格ミステリィでもない(見立て殺人とか見立て殺人にミスリードするための死体損壊とか、交換殺人とか木を隠す森を作るための連続殺人とか)。 強いて言えば、周囲を振り回す天才医師の活躍が描かれているという雑な括りで、『Dr. House』が近い。医療を題材にした作品をそんなに知らない中での連想だけれど 。 ともあれ、よかったので、続刊も読もう。

インクリメンタルなメンタル - Evernote豆技50選

『Evernote豆技50選』を読んだ。 『Evernote基本&活用ワザ完全ガイド』 に引き続き、Evernote関連の本2冊目。 こういう自分なりの規約を決めて守るの、大の苦手。lintが欲しくなる。違反していたら自動的に教えてもらえるくらいじゃないと、守れそうにない。 あと、バッドノウハウというかハックというか、機能を提供者側の意図と違う形で使うのも、抵抗がある。そういう使い方は、いつ失われてもおかしくない。 『APIデザインの極意 』を読んでますますそう思うようになっている。 じゃあ、全然役に立たなさそうかというと、そうでもない。ノートリンクとかテンプレートとしての使い方とか、試してみようと思う豆技もあった。 悩ましいのが、名前の冗長性。英語表記とカタカナ表記の両方をつけるの、のちのち便利なんだけれど面倒だよね……。 ともあれ、こういうインクリメンタルな細かい改善って楽しい。

自由のアーキテクチャ - CODE 2.0

『CODE 2.0』を読んだ。 著者はローレンス・レッシグという法学者。クリエイティブ・コモンズの創始者。フリーソフトウェア財団の理事でもある。 驚くのは、著者の先見性。この本の原著が出たのが2006年。でも、「基本的な構造はそのままだし、主張も変わっていない」『CODE』の初版が出たのは、1999年。つまり、今から16年も前のこと。 この本で問題視している規制の強化が、ようやく現実味を帯びて感じられるようになってきた。コピーワンスとかダビング10とかダウンロード違法化とかTPPの著作権問題とか個人情報保護法の改正案とか。 インターネットって自由の象徴のように語られてきたけれど、その中では実空間よりずっと強力に規制できてしまう。政治は、利益団体によるロビイング主義になりつつあるから、そのうちそうなるだろう。そう言っている。 それは、人々の行動を規制する4つの制約条件のうち、インターネット上ではコードというアーキテクチャがきわめて強力に機能するから。法でそうするように差し向けられるから。 市場 法 規範 アーキテクチャ 自分はインターネットは自由であって欲しいし、面倒は御免だから放っておいて欲しいと常々おもっているのだけれど、そうはいかないんんだろうなぁ、と今更思う。 たとえどんな大義名分があっても曖昧で恣意的な法を作ってしまえば「解決法を問題の範囲を超えてまで広げてしまうインセンティブ」が発生するし、そもそも作らない方がいいのに「規制を求めちゃダメなときには、ダメなやつだけが規制する」。

名前を知らない花

チケットを貰ったので花とか見てきた。フラワーアレンジメントプリザーブドフラワーそれに生け花や盆栽まであって、バラエティ豊富で面白かった。 花というと、ふわふわとしたイメージ。危機感のない考えを〈お花畑〉が揶揄されるくらいだから、このイメージはそれなりに広く共有されていると思う。 そんなわけでふわふわとした気分で足を踏み入れたのだけれど、その気分は良い意味で吹き飛ばされた。ここでは、植物は素材として扱われていた。離れて見ればフォルム、寄って見ればテクスチャが重視されている。 例えば、タマネギが生花の素材として展示されているのを見ることになるとは、思いもしなかった。 プリザーブドフラワーだと、さらに自由度が上がる。複数のバラから花弁を再配置しているっぽいのが面白かった。違う色の花弁に入れ替えてみたり、花弁を追加していたりしている(それとも元からこういうバラあったりするんだろうか)。 好みなのは、和ゴシックっぽい雰囲気の。見目の麗しさはもちらん、花のテンポラルな性質も相まって、目に焼き付けたくなる。 提灯の中の薔薇 何の花か分からないけれど、曲線的な配置が素敵。 あえてモノクロなのも渋い。

火急の休暇 - 境界線上のホライゾン VIII〈中〉

「『境界線上のホライゾン VIII<中>』を読んだよ」 「夏休みも中盤に入りましたね」 「ホライゾンがますます男前だ」 幸いに対して果敢であるだけです 「〈果敢〉という単語のチョイスが、勇ましいですね」 「うん。でも、幸いを掴みに行くには、これくらいでちょうどいいと思う。尻込みする自分を鼓舞するために」 「幸せ過ぎると、恐くなるから?」 「うん、気持ちとしてはその通り。でも、〈過ぎる〉ってのも変な話だよね、と頭ではそう考えてる。なれるだけ幸せになればいいじゃん、って感じ」 「そうは言っても、現実問題として妬み嫉みとか恨み僻みとかありますしね」 「しっとマスク!!」 「せめて『リア充爆発しろ』にしませんか?」 「何が『せめて』か分からんが、でもまぁそういう負の感情もどこ吹く風って人もいるよね」 「立花夫ですね……!!」 「そんな宗茂と外道な武蔵の面々の狭間でストレスを感じつつ、セメントな立花嫁=誾から目が離せない」 「立花夫妻はいつも幸せそうですよねぇ。羨ましい限りです」 「あれはあれで恐すぎるだろ……」 「お互いの実力を信頼し合っているからこそですよ」

Geniusの明日 - イミテーション・ゲーム

『イミテーション・ゲーム/エニグマと天才数学者の秘密』(原題 "Imitation Game") を観てきた。 "Sherlock"で創作上の天才シャーロック・ホームズを演じたカンバーバッチが、今度は実在の天才アラン・チューリングを演じている。 アラン・チューリングと言えば、人工知能分野の〈チューリングテスト〉が一番有名そう。科学や哲学の読み物やSF小説でよく出てくるので。ちなみに、今ではこう呼ばれているけれど、元々はこの映画のタイトルになっている〈イミテーション・ゲーム〉と呼ばれていたらしい。 自分は計算機科学をかじったことがあるので、〈万能チューリングマシン〉や〈チューリング完全〉という用語や、計算機科学分野のノーベル賞と呼ばれるチューリング賞を思い出す。 それから 『暗号解読』 や 『インフォメーション: 情報技術の人類史』 で歴史についても一片の知識は知っていた。 にも関わらず、2時間没入できた。展開を知識として知ってはいても、途中で固唾をを飲むこともあったし、最後には虚脱感を覚えたりもした。 色々な意味で 『ミルク』 を思い出す。

セカンドチャンス - 進撃の巨人16

『進撃の巨人16』を読んだ。 だんだんと秘密が明かされてきてテンションが上がる。今の歴史の成り立ちとか〈座標〉とか、クリスタの生い立ちとかアッカーマン姓の起源とかエレンの過去(の一部)とか。 一方で失われてしまった情報も多い 。勿体ないけれど、彼女が情報が得られる選択をしてしまっていたら、物語が成り立たないのでやむなしかな。 次巻は久し振りに巨人どうしの戦いかな? しばらく人間どうしの戦いが続いているので、もうそろそろ派手なアクションが見たいところ。

目まぐるしいというか苦しい - ONE PIECE 77

『ONE PIECE 77』を読んだ。 ドレスローザ編がようやくスピードが乗ってきた。が、挿話も多くてなかなか本筋のドフラミンゴとの戦いが思ったよりも進まない。 面白いは面白いのだけれど、視点の切り替えが多過ぎてのめり込めない。どうも忙しない。息苦しささえ感じる。 次巻あたりでカタルシスがあるのかなぁ。

Hello, Hero - 僕のヒーローアカデミア1~3

『僕のヒーローアカデミア』の1~3巻を読んだ。 『ONE PIECE 77』で紹介されていたのとタイムラインで読んでいる人を見かけたので合わせ技一本で3冊一気にまとめ買い。電子書籍だと寝込んでいても変えてしまうから恐ろしい(熱が出て寝込んでいたけれど、なかなか寝付けずかかといって文字だけの小説を読んだり能動的に操作しないといけなゲームをする気力も湧かない時、電子書籍の漫画を買ってしまう)。 オールマイト(表紙のアメリカンなおじさん)が素敵だ。他のキャラも個性的で、今後の活躍が楽しみ。