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早く寝る・よく寝る・寝る寝るね - 時間の分子生物学

時間の分子生物学 (講談社現代新書)『時間の分子生物学』を読んだ。

人間には概日周期生物時計という「今何時頃か?」を測っている細胞があるという話。遺伝子・DNAの基礎から解説してくれているので、少なくとも分かった気にはなれる。ものすごく雑に言うと、化学物質の濃度差で測っているようだ。

そういう科学的な知識だけでなく、雑学的なトピックも面白い。

人間の生物時計は25時間周期だと聞いたことがあるけれど、生物時計の純粋な周期は年齢に寄らずほぼ24時間で誤差も30分程度以内らしい。じゃあ、25時間という数字は何を表しているか、というと、1日の合計では光は生物時計をやや遅らせることだそうだ(25時間の基となった実験では明かりのオン・オフが自由だったので、外部から光をどれだけ浴びるかは被験者次第)。

ではどうやって帳尻を合わせているか、というと、朝の早い時間に浴びた光で生物時計を早めているそうだ。だから、朝早く起きて光を浴びないと夜型の生活は改善されないらしい。つまり、夜早く寝ても悪化を免れる(生物時計が遅れない)だけだ。

ちなみに睡眠不足による眠気は、病気ではないし、「唯一の治療法は、しっかり睡眠時間を確保すること」だけだそうです。残念。断眠(睡眠を取り去ること)でもっとも障害を受けるのは免疫系らしいし、最近体調が良くないのでよく寝て早く起きないとよくならなさそうだ。


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