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バベッジがかけた橋

インフォメーション: 情報技術の人類史『インフォメーション: 情報技術の人類史』を読んだ。「人類史」という副題に偽りなし。狼煙や腕木信号から始まり、階差機関と解析機関に寄り道して、情報理論やチューリングマシンを紹介し、ENIACから始まる半導体コンピュータに辿り着き、量子コンピュータまで扱っている。

自分には前半が面白かった。目新しかったからだと思う。コンピュータが好きな割に、あるいは好きだからこそ新しいものばかりに目が奪われていたことが分かった。中でもチャールズ・バベッジ。完成こそしなかったものの、18世紀に階差機関と解析機関という形で、コンピュータを構想していただなんて。それから、解析機関のプログラムを作成したエイダ。彼女は「世界初のプログラマ」と呼ばれているらしい。オーパーツって、こういう人たちが人知れず残した物なんじゃなかろうか。

バベッジに興味が湧いたころで、タイムラインに『完成しなかった蒸気式コンピューター』が流れてきたので、勢いに任せてこちらも読んだ。こちらの本によると、ロンドンのサイエンス・ミュージアムが階差機関を完成させたらしい。期待通り動作してバベッジの構想に実行性があったことが示されたとのこと。

そして、この階差機関がもし完成していたら、という架空の世界を描くSFが『ディファレンス・エンジン』。3年ほど前に読んだときは、どうも入り込めなかったけれど、こういう予備知識を知ってから読んでいたら、もっと面白く読めたのかもしれない。

これ以降、情報理論が登場してからの話は、多少なりとも見聞きしたことがある内容が大半だった。今にすれば、もっと何が何にどう繋がっているかに注意して読んだ方が良かったように思う。もったいないことをした。ちなみに、終盤の量子コンピュータやさらにその先の話に関しては、『宇宙をプログラムする宇宙』が面白い。この本でも紹介している、情報理論と物理学(ブラックホール)との関連について、1冊まるまるを費やしている。

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