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ぼくは孤独が好きだ

ぼくらは都市を愛していた
「『ぼくらは都市を愛していた』を読んだよ」

「5ヶ月ほど前に読んだ、『アンブロークンアロー―戦闘妖精・雪風』(感想)と同じ作者の、最新作ですね」

「うん。紹介文にあった、〈情報震〉が面白そうで」

「『デジタルデータを破壊する』とありますね」

「うん。これを読んで、『悲鳴伝』(感想)の〈大いなる悲鳴〉を思い出した」

「どちらも広範囲において選択的に作用していますね。〈大いなる悲鳴〉が人の命だけを奪うのに対して、〈情報震〉はデジタルデータだけを破壊するという違いはありますけれど」

「うん。ところで、デジタルデータだけ破壊されるというのはどういうことだろうね? デジタルデータと十把一絡げにしているけれど、保存方式は何種類もあるだろうに」

「HDDは磁気ですし、メモリは電荷。それから、CDに代表される光ディスクもありますね」

「よく分からないけれど、次世代メモリの保存方式にも色んな候補があるみたいだよ。本書の舞台である2010年代には実用化されていそうだね」
その次世代メモリ技術には主に、3つの候補がある。相変化メモリ(PCRAM)、スピン注入メモリ(STT-RAM)、抵抗変化メモリ(ReRAM)である。
【PC Watch】 【Flash Memory Summit 2012】【半導体メモリ編】SK Hynixが展望する半導体メモリの未来
「相ってなんでしょうね? スピンは電子のスピン、抵抗は電気抵抗でしょうか」

「さあ? ともあれ、これだけバリエーションに富んだ物理的特性で保存されているのに、データだけが破壊されるって、どんな現象なんだろう。デジタルデータと言っても、物理的に保存されているんだから、波及して物理的な被害も出そうなものだけれど」

「保存状態が変わらないんじゃなくて、読み取る方が破壊される可能性はありませんか?」

「それにしても、保存方式と同じだけ読み取り方式もあるからなぁ」

「そうではなくて、人間の意識に作用しているんじゃないですか? あらゆる記号をゲシュタルト崩壊させるような」

「あ、それ面白いかも。でも、ビットが反転したりシフトしたりすると書かれているからなぁ。あ、でも後半の描写を考えると……」

「もしもーし?」

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