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全然禅

『禅』を読んだ。

禅の思想は、論理の外にあるみたい。
考えても埒が明かない。

例えば、次のような四句がある。

「A」ではない。
「非A」でもない。
「Aではないかつ非Aではない」でもない。
「Aかつ非A」でもない。

そう言えば、パラドックスに関する本で、本当のパラドックスは最初の3つを満たす問題だと読んだ記憶がある。
それも超えており、どう扱ったらいいか途方に暮れる。

これでもまだ分かりやすい方。
禅問答(正式には公案というらしい)では、弟子が師に問うたらいきなり叩かれたりするなど、言葉を使わないこともしばしばだそうだ。

それでも、同意した部分があった。
論理や言葉で捕らえられないものがある点だ。
言葉の解像度が認識の解像度だという人もいるけれど、全く説明できなくたって見えているものは見えているし、観察しようと思えばできる。
"タタター"に関する次の一文が、何か関係がありそうでひっかかっている。
木は、それが「木」という概念に包摂されるまでは、木ではない。“タタター”(如)こそ、 この概念に先んずるものである。それは、われわれが木であるとか、ないとか言う以前の消息である。
物理学の人間原理を思い出す。こちらは全く反対の考え方。

もうしばらくバックグラウンドで考え続けよう。

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