『明日をどこまで計算できるか?』を読んだ。
本書は予測モデルにまつわる物語を楽しむ本だと思う。
文章表現を選ぶ際に、読み手へのインパクトが重視されているような印象を受けた。
ところで予測モデルが奉られているのは、利用可能な手法で予測可能な系を対象としてきたから、という側面がある。
利用可能な手法とは方程式のこと。
予測したいと思う系(たとえば経済)の予測モデルは、そもそも存在しないのかも知れない。
ところで邦題はどうにかならないのだろうか。
計算出来なさそうで、方程式もなさそうなのに。
少なくとも現在はできないのに。
体を表してかつ売れそうな名はないのかな。
本書は予測モデルにまつわる物語を楽しむ本だと思う。
文章表現を選ぶ際に、読み手へのインパクトが重視されているような印象を受けた。
ところで予測モデルが奉られているのは、利用可能な手法で予測可能な系を対象としてきたから、という側面がある。
利用可能な手法とは方程式のこと。
予測科学が、常微分方程式などの方程式を使いながら発展してきたのは、それが研究対象のシステムにぴったり合っていたからではない。常微分方程式が数学で解けるからだ。予測可能な系とは、例えば天体の運動のこと。
恒星や惑星の運動を予測する最大の理由は、おそらくは地上で起きるほとんどの出来事とは違って、天体が予測可能な運動をするからであろう。
予測したいと思う系(たとえば経済)の予測モデルは、そもそも存在しないのかも知れない。
モデルは(中略)正確な将来予測は相変わらず難しい。モデルは根底にある系の現在の系の機能を理解するツールとして、とくに力を発揮することが多い。『歴史の方程式』と同じだ。
ところで邦題はどうにかならないのだろうか。
計算出来なさそうで、方程式もなさそうなのに。
少なくとも現在はできないのに。
体を表してかつ売れそうな名はないのかな。