『数学ガール/ゲーデルの不完全性定理』を読んだ。
本書は『数学ガール』、『数学ガール/フェルマーの最終定理』に続くシリーズ3作目。
後半、大量の定義が現われるところで、迷子になった。
読んでいる最中はは面食らったけれど、冷静に考えると、リファクタリングの一つ『メソッドの抽出』を行う理由はここから来ているのだろうな、と思った。
例えば、
かと言って、"∃x(a)"の定義を把握していないと、それが"¬(∀x(¬(a)))"の省略系であることを逐一確認しないといけない。
リファクタリングの文脈で言い換えるとこうなる。
適切にメソッドを定義しないと、ソースコードの全体の流れを把握できなくなる。
一方で、メソッド過多でも、 ソースコードの見通しが悪くなる。定義を把握していないメソッドが出てくる度に、定義を確認する必要が生じる。
本書の後半は、今の自分のキャパシティを越えていた。
もう少し定義を丁寧に追いながら読んだら、理解が深まるだろうか。
あるいは少し手を動かした方がいいかもしれない。
ところで、コンピュータと数学と言えば「四色問題」を思い出す。
『四色問題』を読んだ範囲での理解だと、『ゲーデルの不完全性定理』ほどではないかもしれないけれど、これも当時の《数学観》に《ガリレオのためらい》を与えたんじゃないだろうか。
《ガリレオのためらい》を与えたのは、証明の方法。
人間の手には終えない数の場合分けを、コンピュータで実行した。
確かに、オイラーの公式のような一種の美しさを感じない。
しかし、 コンピュータで実行できるように問題を定式化するのも、十分チャレンジングだ。
(テトラちゃんのように)数え上げるのも立派な数学だと思う。
それに、定義、公理、推論規則から引き出される結論なら、それは数学だ、と思う。
本書は『数学ガール』、『数学ガール/フェルマーの最終定理』に続くシリーズ3作目。
後半、大量の定義が現われるところで、迷子になった。
読んでいる最中はは面食らったけれど、冷静に考えると、リファクタリングの一つ『メソッドの抽出』を行う理由はここから来ているのだろうな、と思った。
例えば、
省略系4 ∃x(a) を ¬(∀x(¬(a))) と定義する。いちいち"¬(∀x(¬(a)))"を使っていると、全体を読み通すのが困難になる。
かと言って、"∃x(a)"の定義を把握していないと、それが"¬(∀x(¬(a)))"の省略系であることを逐一確認しないといけない。
リファクタリングの文脈で言い換えるとこうなる。
適切にメソッドを定義しないと、ソースコードの全体の流れを把握できなくなる。
一方で、メソッド過多でも、 ソースコードの見通しが悪くなる。定義を把握していないメソッドが出てくる度に、定義を確認する必要が生じる。
本書の後半は、今の自分のキャパシティを越えていた。
もう少し定義を丁寧に追いながら読んだら、理解が深まるだろうか。
あるいは少し手を動かした方がいいかもしれない。
ところで、コンピュータと数学と言えば「四色問題」を思い出す。
『四色問題』を読んだ範囲での理解だと、『ゲーデルの不完全性定理』ほどではないかもしれないけれど、これも当時の《数学観》に《ガリレオのためらい》を与えたんじゃないだろうか。
《ガリレオのためらい》を与えたのは、証明の方法。
人間の手には終えない数の場合分けを、コンピュータで実行した。
確かに、オイラーの公式のような一種の美しさを感じない。
しかし、 コンピュータで実行できるように問題を定式化するのも、十分チャレンジングだ。
(テトラちゃんのように)数え上げるのも立派な数学だと思う。
それに、定義、公理、推論規則から引き出される結論なら、それは数学だ、と思う。