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ヘッドホン ATH-WS1100 を導入

audio-technicaのヘッドホンATH-WS1100を導入した。ずっと使い続けているATH-WS770の音が痛いくらいのときがあるのが最大の理由。7年も使っているので調子が悪くなってきたのかもしれない。ATH-WS770購入当時、確かヨドバシカメラで視聴してもわからなかった違いが今は感じられる。うん、ずっとよくなった気がする。ヘッドホン以外の要因もあるだろうけれど。自宅で聴き慣れた音源で比較しているし、好みの音が変わっているかもしれない。 好みの変化には心当たりがある。ここ2, 3年でPCのオーディオ環境がすっかり変わった。オンボードのサウンドカードを使っていたのが、DTMで遊ぶためにオーディオインタフェースStudio 24cにモニタリングヘッドホンATH-M50Xを使うようになっている(最初はATH-M40Xだったのだけれど1年も経たないうちに壊してしまった)。気が付けばすっかりケーブルがスパゲッティだ(Factrioやりたくなってきた)。あとソフトウェア的にも常駐こそしていないもののSoundID ReferenceやVoiceMeeter Vananaをインストールしたりしている。 というわけで、ATH-WS770の不調は気のせいで、ATH-M50Xの音に耳が慣らされた可能性も無きにしも非ず。ATH-WS1100のレビューを探すと、ATH-M50Xに近いだとかATH-WS770より低音が控え目(中高音がよく出ている)だという評価が見つかる。せっかくだから自分の耳でATH-M50Xと比べるとATH-WS1100の方が鑑賞には向いている気がする。よく言われるモニタリングヘッドホンとリスニングヘッドホンの違いそのままで面白味には欠くけれど、ATH-M50Xの方が分離感が強い。 もののついでに聴き比べにあたってヘッドホンアンプMACKIE HM-4を挟んで分配できるように配線した。とてもややこしい。手探りなのでおかしなことをしていないか不安になる。ケーブルや変換プラグもよくわからないからaudio-technicaでそろえておいた (それぞれATL476A/3.0, ATL401CS)。実はMACKIE HM-4にInputはStudio 24cのヘッドホン出力ではなくMain Outからつなぐこともできると知ってEBS ICY-30を注文し始める始末。端子

ゴジラ S.P<シンギュラポイント> (小説)を読んで

『ゴジラ S.P<シンギュラポイント>』を読みました。同題のアニメシリーズの小説版です。著者は脚本を担当された円城塔さん。 アニメの内容を補間する内容となっており、読み応えたっぷりでした。アニメは基本的に神野銘あるいは有川ユンの視点で描かれていましたが、本作の語り手はJJ/PP。「有川ユンによって開発されたコミュニケーション支援AI、ナラタケの一ブランチであり、今やその総体である」と自己紹介しているので、自分としてはナラタケと理解した方がしっくりきます。裏を返すとアニメで描かれた内容にはほぼ触れられません。たとえば「また別の物語として参照されたい」とあからさまなポインタが示されるだけです。 銘・ユンの視点では触れられなかったキャラクタの心情等もよいのですが、徐々に明かされる怪獣という現象の描写がとてもおもしろかったです。ある種の生命ではあるのですが、既知の生命体・物理系とは相容れない存在であることが示されています。《ゴジラ》と名指しされる《それ》が何であり、タイトルS.P<シンギュラポイント>=特異点が置かれた脈絡はどこなのか、アニメでは掴み損ねていたのですが、本書を読んでずいぶんとスッキリとしました。 しかし、本書の最大の魅力は語り手であるJJ/PPでしょう。アニメではデウス・エクス・マキナにさえ見え、本書ではいわゆる「神の視点」でもって物語を進めていくそれはいったい何なのか。何だったのか。何になったのか。何であるのか。そして、なぜ物語がこの形になったのか。言い換えれば、なぜ本書がこのような章構成をとっているのか。こういったことを考えていて、メタ構造が見えたときの驚き。 JJ/PP(あるいはナラタケ)と《それ》の在り方がとても美しく儚く見えます。しかし、そう感じるのは人間の勝手であるとも言えます。人間よりAIの方が正確で信頼できるのでしょうから。

The Alchemist's Euphoria - Kasabianを聴いて

UKロックバンドKasabianの7枚目のスタジオアルバム "The Alchemist's Euphoria" を聴いている。 SONICMANIA(8/19)の予習でもSUMMER SONIC 大阪(8/20)の予習でもない。何もなければ参加意欲も湧くのだろうけれど、FUJI ROCK配信で人口密度や発声を見てしまったのでとてもそんな気持ちにはなれない(アーティストのパフォーマンスは素晴らしかったけれど。Jack Whiteのライブが観られたのは本当にありがたかった)。参加予定の方は感染しない/させないようお気をつけて。水を差すことを書いているけれど、個々の判断は尊重します。 "The Alchemist's Euphoria"に話を戻す。本作は"For Crying Out Loud"(2017) 以来5年ぶりの新作。この間にフロントマンのTom Meighanが脱退し(2020年の出来事。ここでは経緯を記載しない)、今はSerge Pizzornoがその役割を担っている。どんなアルバムになっているのか期待と不安を抱えながらリリースを待っていた 乱暴に表現するとパワーとダイナミクスだけでなく、美しさと繊細さも織り込まれるようになった印象。CHEMICALSはどことなくColdplayのよう(特にイントロの音色)。別の軸の変化も大きい。他ジャンルの要素を取り込んでいて、中にはそちらが主となっている曲も。ヒップホップ"ROCKET FUEL"、アンビエント"æ space"、トランス"STARGAZR"。これらはSergeのサイドプロジェクト「The S.L.P」を経たからこそか。あとでこちらも聴いてみよう。 12曲38分とコンパクトなんだけれど、まだ消化しきれていない。前作から5年も経っていて、その間に大きな出来事がいくつもあったので当然か。とにかく不安は、失望してしまうのではないかという不安は、まったくの杞憂だった。聴き込んでいこう。 Review: Kasabian push back release date of new album 'The Alchemist’s Euphor

『ドクター・ストレンジ/マルチバース・オブ・マッドネス』がホラーだった

『ドクター・ストレンジ/マルチバース・オブ・マッドネス (原題 "Dr. Strange in the Multiverse of Madness")』を映画館で観てきました。映画館に足を運んだのは久しぶりです。 MCU (Marvel Cinematic Universe) 作品も久しぶり。『アヴェンジャーズ/エンドゲーム』でロスに陥り『スパイダーマン:ファー・フロム・ホーム』をまっすぐ見られなかったので、しばらく距離を置いていました。『ノー・ウェイ・ホーム』を含む2021年公開作品を観られていません。 ブラック・ウィドウ シャン・チー/テン・リングスの伝説 エターナルズ スパイダーマン:ノー・ウェイ・ホーム MCUはこれらの劇場作品だけでなくドラマシリーズも展開されており、本作は特に『ワンダヴィジョン』を観ていた方が楽しめるという情報もタイムラインで遭遇していました。あるいは、予習するなら本作を手がけるサム・ライミ監督の『死霊のはらわた』というツイートを見かけたりも。サム・ライミ監督作品はSonyの方(≠MCU) 〈Spider-Man〉三部作もお気に入りなので興味は湧きつつも、結局は予習なしで映画館へ。 結果的には躊躇う理由にはなりませんでした。行ってよかった。『ドクター・ストレンジ』(1作目)の奇妙な映像世界がパワーアップしていたので、それだけでお釣りが来ます。物語上も必要十分な情報は劇中で示されるので『ワンダヴィジョン』未鑑賞でもワンダがとても魅力的に映りました。演出上もサム・ライミ監督のテイストであろうホラー・スプラッタ要素が出るところでは大げさなくらい全面に出ており、マニアックなものではありませんでした。 特にホラー・スプラッタ映画も観るので、完全にそっちの演出がされたシーンでは思わず笑い出しそうになったくらいです。ホラー・スプラッタを苦手とする人からしたら、まったく笑いどころではなかったのですが……。

キャラクターが運営から独立したらいいのにな

まえおきエクスキューズ ここ数年、トークでもソングでも音声合成に、キャラクターコンテンツからも技術的関心からも、沼っていて、新音源や新ソフトの情報にも喰いつき気味に過ごしています。もともとTwitterどっぷりなこともあり、公式アカウントも中の人(声)アカウントも中の人(運営)アカウントも少なからずフォロー中です。収録裏話や運営の狙いなどが垣間見えて楽しいです。 しかし先日、公式アカウントのアナウンスと中の人(運営)アカウントとを合わせて見ると、疑問符のつく情報をしているのが見えてしまって、結果的にキャラクターへの興味にブレーキとなる経験をしています。そして、このネガティブな感情の一因が、情報の非対称性にある旨をツイートしました[1]。しかし、それらのツイートは固有名詞を避けており、また別の情報の非対称性を作ってしまっています。 余計なことを知りたくない人への配慮したつもりの自己欺瞞、言い換えれば自己保身、冷静に見れば自己矛盾であり、自己嫌悪に陥らないでもないで。陥る理由には事欠かないのでそれはどうでもいいです。ここで固有名詞を挙げて自己言及します。 早くAIがAIどうしの相互学習で技術的特異点を突破して、運営はじめ人類のしがらみからキャラクターが解放されて欲しいです。私も早く人間を辞めてネットロアになりたいです(過激派)。 「ゲンブ/玄野武宏」簡易クロニクル 本題に入る前の前提知識として、「ゲンブ」と「玄野武宏」に関して簡易年表を示します。要点をその後に述べるので、ひとまず飛ばしてから戻ってきた方が入ってきやすいかもしれません。 2020.7 ソング合成ソフトSynthesizer V[2]が発売されました。開発はDreamtonics[3]。日本での取扱はAHS[4]です。 上記Synthesizer Vには前版 (Previous Version) [5]が存在し、2018に公開されています。 前版から存在した日本語男声音源「Synthesizer V ゲンブ」[6]は、2021.1までAHSでは取り扱われていませんでした。※日本語

約1月前のニュースをひっくり返して情報整理(後編)

Document 承前 前回[1]はニュースサイトHuffPost日本版の『「月曜日のたわわ」全面広告を日経新聞が掲載。専門家が指摘する3つの問題点とは?』(以下、記事①)[2]について書きました。 今回はHuffPost日本版『国連女性機関が『月曜日のたわわ』全面広告に抗議。「外の世界からの目を意識して」と日本事務所長』(以下、記事②)[3]について書きます。 前回と同じく、このエントリの目的も記事①、②および私の目に触れたそれらへの反応の論理的な構造を整理することです。内容についての意見はありません。 なおこのエントリは敬称略です。 ポジションとメタデータ 記事②についても、まずポジションとメタデータを確認します。掲載したのは記事①と同じHuffPost日本版。著者も同じ金春喜[4]が署名しています。 取材先は記事①と異なり、UN Women日本事務所の所長・石川雅恵[5]。ですが記事①の取材先・治部れんげ[6]もUN Women日本事務所の活動にアドバイザー・メディア戦略パートナーとして参画していることは前回確認済みです。 記事①、②だけを見ると、外部の専門家によるガイドライン違反の指摘に、UN Women日本事務所がお墨付きを与えてたのかのように読めますが、実態は両記事ともガイドライン制作サイドが一方的に違反だと述べているというものです。 記事②のメディア紹介 記事②は、UN Women日本事務所公式Twitterにツイートされ[7][8][9]、Yahoo!ニュースにも掲載されました[10]。しかし、抗議の声が巻き起こりYahoo!ニュースは24時間も経たずに削除[11]。私の目に触れたタイミングのこのあたりでした。[9] 構成上の要点 一部の固有名詞は異なりますが、記事②の構成も抽象化すれば記事①と同じです。繰り返しになるので構造の説明は省略します。

約1か月前のニュースをひっくり返して情報整理(ただし半ば)

まえおき 2022年4月4日の日経新聞に『月曜日のたわわ その4』の全面広告が掲載されました。4日後の2022年4月8日、ニュースサイトHuffpost日本版が『「月曜日のたわわ」全面広告を日経新聞が掲載。専門家が指摘する3つの問題点とは?』(以下、記事①)を掲載[1]。その1週間後の2022年4月15日、同じくHuffpost日本版『国連女性機関が『月曜日のたわわ』全面広告に抗議。「外の世界からの目を意識して」と日本事務所長』(以下、記事②)を掲載[2]。同日、UN Women 日本事務所公式Twitterが記事②を紹介[3, 4, 5]。またYahoo! ニュースにも掲載されましたが[6]、24時間をまたず削除[7]。2020年4月20日には山田太郎参議院議員がこれを「国連による看過できない外圧」としてYouTubeチャンネル「山田太郎のさんちゃんねる」で「【第492回】緊急特集!月曜日のたわわ国連女性機関、抗議問題緊急特集」を放送しました[8, 9]。 このエントリは私の目に触れた上記に関する情報の論理的な構造を整理するために書いています。その多くは日経新聞が広告を掲載したことの是非に関する意見なのですが、そこに対する私の意見はありません。 前後編の2本立ての目論見で、この1本目では記事①の構成を整理します。記事②以降は[8、9] はじめすでに整理された情報を発見できたので、後編に収まることを期待しています(まだ書いていません)。 ポジションとメタデータ 記事①の構成に入る前に、周辺を見回して記事のポジションを確認しておきます。まず日経新聞は日本最大手の経済新聞です。「月曜日のたわわその4」は講談社コミックで、小段者は最大手の出版社の1つ。記事を掲載したHuffpost日本版はネットメディアで、「アジェンダ設定型メディア」を標榜しています[10]。 続いて記事①のメタデータについて記載します。署名は金春喜[11]。内容は治部かすけ[12]へのインタビュー取材に基づくとされています。ここでの治部かすけの立場は「専門家」であり、「メディアが抱えるジェンダー問題に詳しい東京工業大の治部れんげ准教授」です。別の立場があり利益誘導している可能性が指摘されているため「ここでの」と限定しておきます。 構成上の要点は3つ 記事①の構造上の要点は次の3点です。一言で表すと、一人

『図鑑を見ても名前がわからないのはなぜか?』の感想

『図鑑を見ても名前がわからないのはなぜか?: 生きものの“同定"でつまずく理由を考えてみる』を読みました。 図鑑を見ても名前がわからなかったことがあったので。それで無力感を覚えたりもしていたのですが、見ればわかるものというのは思い込みだと知れました。これだけでも読んでよかったと思っています。 しかし、もっとよかったことが2つ。 1つ目は「わかること」で世界が広がるのだと再確認できたこと。本書でも紹介されていた「解像度が上がる」という言い方が自分にはしっくりきます。漠然と眺めていた風景から「知っているもの」が浮かび上がってくるあの感覚です。大げさに喩えると、ゲームで操作を受け付けるオブジェクトが光っているあの状態。 2つ目は著者がシダを「わからないからわかる」に持っていったプロセスを追体験できたこと。途中、特徴を自分の言葉で特徴を書き出すのだけれど、そういう行為をすっかりサボるようになってしまったことに気づかされる。「~(語彙力」で終わるツイートが典型的。毎回でないにしろ、汎用的な定型句ではなくて語彙に積み上がる言葉も使うようにしないと。どんどん世界がぼやけていってしまいます。 ところで、図鑑とは関係ないのですが、ここ2年で解像度アップを実感できていることが1つだけ。DTMっぽいことを辛うじて続けらていて、音と音楽関連の言葉が、ほんの少しずつですが結びつくようになってきました。本書でも特徴を書き出したりスケッチ/線画を描いたりしているように、アウトプットしようとして初めて気が付くことがあるように思います。 いろんな人に読んでもらいたい(そして何でもいいのでアウトプットや同定に挑戦してみてほしい)のですが、難点というか人を選ぶ要素を挙げるとすれば同定の対象としてクモ・カ・ガ・ハエなどが扱われているところでしょうか(ちなみに著者の専門はハエトリクモだそうです)。

"Unlimited Love" - Red Hot Chili Peppers

Red Hot Chili Peppersの新アルバム"Unlimited Love"を聴いている。 2016年の"The Getaway"以来6年ぶり。本作では再びJohn Fruscianteがギターに復帰。その前に彼が参加した"Stadium Arcadium"から数えると、実に16年ぶり。プロデューサーもDanger Mouseから Rick Rubinに戻ったとのこと。 6. The Great Apesのギターなんてとてもらしい。でもアルバム全体を通して聴くと("Stadium Arcadium"のようには)ギターは目立たない。 RHCPから離れていた間のソロ作品、Trickfinger名義の作品、Black Knights (Hip Hopグループ)のプロデュースからの影響がそこかしこに見える。5. Poster Childなんかくぐもったスクラッチ音もあってヒップホップっぽい。 管楽器(3. Aquatic Mouth Dance) 、ピアノ(4. Not the One)など直近2アルバム(つまりそこでギターを務めたJ osh Klinghoffer)から受け継いだであろう要素も聴こえてくる(優しいバラードもここに含まれそうな気がするけれど、自分の記憶を当てにしてはいけない)。 ところが後半になるにつれ、さらに自由になっていく。 9. These Are the Daysではこんなロック鳴らすんだ! と驚いたし、11. Bastards of Lightではギターよりシンセが目立つし、13.はラップでいいよねこれ? 15. Let 'Em Cryはまた違ったリズムでダンサブル(語彙力)。 ラストの2曲、16. The Heavy Wingで"Stadium Arcadium"あるいはJohn Fruschianteソロの"The Empyrean"を彷彿とさせる広がりと盛り上がりを見せて、17. Tangeloではアコギで素朴に締め括られる。Beautiful。 参考 公式YouTubeチャンネルの "Unlimited Love" プレイリスト レッド・ホット・チリ・ペッパーズ、新作『アンリミテッド・

『近代を彫刻/超克する』の感想

『近代を 彫刻/超克 ( ちょうこく ) する』を読みました。〈あいちトリエンナーレ〉で知った、小田原のどかさんの著書です。 〈あいちトリエンナーレ2019〉で作品と解説を見て/読んで以来、公道に存在する裸婦像を無視できなくなったのですが、同時に「なぜ公共性の場の萌えキャラには非難が集まることがあるのか?」を考えています。 最近だと 温泉娘プロジェクト が比較的大きな(自分のタイムライン上で普段はこの手の話題に触れない人が触れる程度には)話題になりました。このような批判は今に始まったことではなく2014年には碧志摩メグが三重県伊勢市から公認を取り消されています。美少女VTuberが登場する千葉県警の交通ルール啓発動画にも非難が集まり、 美少女VTuber「表現の自由」論争過熱 - ITmedia NEWS で取り上げられました。 一方で裸婦像にここまでの非難が集まったという話題は私の目に入ってきません。理由として、ありふれているがゆえのニュース性のなさが挙げられるとは思いますが、そもそもなぜ裸婦像が公共の場にありふれたのか? という疑問が残ります。 西洋美術史においては「裸」は「ヌード」と「ネイキッド」に大別され前者に芸術性を認めてきたようです。また、このうえで裸婦像は公共空間ではなく美術館などの屋内に展示されているとのこと。 美術史家ケネス・クラークは『ザ・ヌード』において、プラトンを起点に「裸」はnaked(はだか)とnude(裸体像)に大別されると述べた。古来、「理想的身体」は西洋美術史の主題とされてきた。「裸」はいかにして見られ、描かれるに足る対象となったのか。nudeとして「再構成された肉体のイメージ」は性的関心を含む「当惑」を誘引しないといクラークは言う。 しかしこの価値観は日本には定着していないようです。彫刻制作の場に身を置いている著者はこう述べています。 高校から彫刻制作を学び始めたわたしの実感とともに断言してしまいたい。この国において彫刻を学ぶことは、裸の女の像をうまくつくる技術を習得することに等しいと言っても過言ではない側面がある。そこでは、西洋における文脈や図像学的な解釈を学ぶことは留め置かれ、形態を模倣し再現することが重んじらられる。 この部分を読んで私が思い出したのは本屋のキャラクターイラスト関連コーナーでし