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11月, 2015の投稿を表示しています

量産型の予算 - HG グレイズ

「HG グレイズを作ったよ」 「『鉄血のオルフェンズ』の、いわゆるザクポジションのMSですね。カラーリングが踏襲されています」 「Yes. 最初はギラ・ドーガを作ろうかと思っていたのだけれど、他とサイズが違うから浮くのが嫌で」 「『逆襲のシャア』の時代のMSは大きいですからね」 「うん。設定上の全高がひとまわり違う。このグレイズや バルバトス 、 ヘイズル改 、 ケンプファー が約18mなんだけれど、ギラ・ドーガは20mある」 「そう言えば、 ヘイズル改とギラ・ドーガが並んだ写真を見つけたってツイート していましたっけ」 「こうして見ると高さ以上にボリュームに差が。割とボリューミーなヘイズル改と比べてこれかもんなぁ」 「細身のバルバトスやグレイズと並べると、さらに差が際立ちそうです」 「そうそう。カラーバリエーションとモノアイこそザクを踏襲しているけれど、シルエットが正反対。ザクは丸くてボリューミーだけれど、こちは直線的で細身」 「それでも一目でザクポジションと分かるのが面白いですよね」 「さて、プラモの話に戻ると、今回はデカールを貼るのに加えて、マスキングテープを使って左肩にナンバーを入れてみた。これくらの写真だと粗が目立たなくていいね」 「ブログにアップするときは、だいたい目立った傷や埃をレタッチしているじゃないですか……」 「多少はね。あ、ケンプファーの写真ではモノアイを光らせたけれど、この写真はそんな加工していないよ?」 「『この写真は』していないだけで、今度は GIFアニメ化にして光らせている の、知っていますからね?」

Where you AT? - 新世紀エヴァンゲリオン1~14

「『新世紀エヴァンゲリオン』のコミックス1-14をまとめて読んでしまった。安かったのでつい」 「Kindle版が1冊50円になっていましたね。今も価格こそ戻りましたがポイント還元で実質50円ですし」 「一体何があるんだろう。もしかして、新劇場版4作目『:||』 (正確には音楽の反復記号の右の|が太くなっている)の公開が近いんだろうか」 「今年でテレビ版第壱話放映から20年らしいですしね」 「エヴァ、コンテンツとしての寿命長いよなぁ」 「なかなかないですよね」 「うん。1990年代の漫画・アニメだとこれくらいじゃないかな。これだけ続くから面白いのかな、と思って『序』、『破』、『Q』を観てよく分からなくて、コミックスもこれを機会に読んでみたけれど」 「時機を逸しているのかもしれませんね」 「だとしたら、今は当時のファンが今も買い支えているもんなのかね。新規ファンを獲得しているのではなくて」 「ところで、『名探偵コナン』も去年連載開始20周年だったみたいです」 「あ、言われてみればコナンも長いな」

腹が減っては兵隊は - 戦場のコックたち

『戦場のコックたち』を読んだ。長篇だけれど、各章でオチがつくから短篇連作とよく似た読み心地。それでいてエピローグまで読ませてくれる。 舞台は第二次世界大戦さなかのヨーロッパ。主人公は米軍のコック・ティム。戦場が舞台だからもちろん戦う (衛生兵と同じ特技兵だけれど、コックは護身以外での武器の使用が、国際法で禁じられていないとのこと) けれど、彼の戦いは主軸ではない。丁寧に描かれているのは、彼一人ではどうしようもない戦争の奔流と、彼のコック仲間達。 料理にもあまりフォーカスが当たっていないのには、肩すかしを食らった感じを受けたけれど、これはこれでよかったように思い直している。料理でどんな問題でも解決されたりすると、興醒めしてしまいそう。戦時下の状況の丁寧な描写が作っている雰囲気が、ぶち壊しになる。 「ここがスゴイ!!」という分かりやすい特徴はないのだけれど、全体のバランスが絶妙。安心して楽しめた。特に、エピローグには染みるものが。

ガンプラの箱 - ガンプラEXPOワールドツアージャパン2015

「 ガンプラEXPO に行ってきたよ」 「先日秋葉原で開催されていましたね」 「PG ユニコーンガンダム (最終決戦Ver.)とかコンテスト作品とか、格好良かったなぁ。あんな風に作れるは全然しないけれど」 「HG グレイズでさえまだ完成させていませんしね」 「にも関わらず、イベント限定のG-3ガンダムとプチッガイ買っちゃった」 「ミーハーですか」 「それから、HG ガンダムグシオンを見てますます発売が楽しみに。もちろん注文済み」 「積みプラ状態じゃないですか」 「でもジムスナイパーK9も作りたい。ジムスナイパーIIより色が好みだ」 「好みと言っても色が偏り過ぎじゃないですか? グレイズもプッチガイもガンダムグシオンも緑系ですよ」

ミュートの音 - Mutemath/Vitals

Mutemathの"Vitals"を聴いている。 浮遊感のある曲が目立つ。緊張感が前面に出ていた前作"Odd Soul"とは対称的。ダンスロック色が濃くなって、どことなくFriendly Firesを彷彿とさせる。 これまでの作風とは違っていたので最初は面食らった。特にギターが目立たなくなったことへの違和感が強い。 けれど、繰り返し聴いていると次第に心地よさが増してくる。不思議。

追う廊下 - 愚物語

『愚物語』を読んだ。収録されているのは、次の3篇。 そだちフィアスコ するがボーンヘッド つきひアンドゥ 「そだちフィアスコ」で描かれる老倉育が我が子のようで、彼女の愚かさが我が事のようで、愛憎相半ばする。 我が子と思えば馬鹿な子ほど可愛いし、我が事と思えば心理学でいうシャドウなので認め難い。 どちらにせよ、キーセンテンスはこれ。 余計なことをするから、余計な目に遭う。 自分は、係数が低いなりに学習して余計なことはしないようにしている一方で、それでもやっぱり後先考えずに余計なことをしたいのだ。そう思い知らされた。 三つ子の魂百までとはよく言ったもので、学習したのは躊躇ばかりで、指向している先はちっとも変わっていない。余計なことをしたくなる傾向が抜けていない。 それでも育には幸せと思える境遇を得て欲しい。そう思うのは、余計なお世話か。

ドードードー - 実践ドメイン駆動設計

『実践ドメイン駆動設計』を2ヶ月ほどかけてちまちまと読み進めて、ようやく最後まで辿り着いた。 『エリック・エヴァンスのドメイン駆動設計』 に比べれば分かりやすい。たとえば、ちゃんと基礎となる戦略的パターンから説明されている [1] 。 ただ、それでも理解できたのはほんの一部だけ。噛み砕けていない部分の方が多い。諦めて斜め読みで済ませることがしばしば。 それでも読んでよかった。 まず、きっとまた読むことになると予感できた。苦労して読んだがゆえのバイアスかもしれないけれど。だとしても、噛み砕けないなりに、部分部分で得るところがあった [2] 。 余談。「カウボーイの声」が分からん……。文化の違いだろうか……。 [1] ドメイン駆動設計の間違った方向性 によると、『エリック・エヴァンスのドメイン駆動設計』では、基礎となる戦略的パターンが後半に書かれてしまっている。 [2] なるべくツイートするようにしていた。 『実践ドメイン駆動設計』を読んでいるときのツイート - Togetterまとめ に拾ってある。

ピンクドット - 葛西臨海水族園/ダイヤと花の大観覧車

「先日、葛西臨海水族園に行ったら、ジョジョっぽい魚がいた」 「 『ジョジョリオン4』 の表紙なんか、近い色が使われていますね。ピンクのドットがかわいいです」 「そして約束されたカエル枠は、シュレーゲルアオガエル」 「目がぱっちりしているところ撮れましたね」 「水族園を出た後に乗った観覧車。いい眺めだった」 「どこ見ているんですか」 「中心の方を向いたらいい感じの構造が見えたもので。観覧車から見えたものには違いないよ?」 「それはそうですが」 「あっという間に日が暮れて、観覧車から降りて帰るころには真っ暗に」 「観覧車が花火のよう」 「低くないですかね……」 「確かにこんな低さで爆発したら大惨事だな……」 「あ、なんかごめんなさい。綺麗に締めようとしているところに」 「もういいから、とっくに終わり時を見失っちゃってるから!!」

セージュンの政治 - 境界線上のホライゾン ガールズトーク 祭と夢

「『境界線上のホライゾン ガールズトーク 祭と夢』を読んだよ」 「『ガールズトーク』2冊目ですね」 「1冊目の『狼と魂』の感想を書き忘れているね」 「そのことなら 『境界線上のホライゾン VIII〈上〉』 を読んだ後に話したじゃないですか」 「それさえ忘れてたよ……。また探してしまった……」 「大丈夫ですか、脳?」 「過去を改善したいところだ、このシリーズみたいに。その時はまだ気がついていなかったことにしよう」 「過去を回想しながら記録している体なのに、フリーダムですよね。現在目線でツッコミが入ったり」 「ちなみに今回はセージュンこと本多正純が武蔵に来る時の話だったよ」 「まだ戦争大好きじゃなかった頃の話ですね」 「うん。 『I〈下〉』 で吹っ切れる前のさらに前。ここから外道に適応していくんだから、大したものだよな」

my turn to internship - 僕のヒーローアカデミア6

『僕のヒーローアカデミア6』を読んだ。 早くも出久がパワーアップ。One for Allのこれまでとは違う使い方を見つけた。いいテンポだ。 今回の出色はグラントリノ。あのオールマイトを鍛えただけあって、おじいちゃんにもかかわらずなお健在。速い速い。出久のパワーアップのキッカケを生んだのも彼。これからもちょいちょい登場して欲しいなぁ。 どんどん伸びていく出久と対称的なのが飯田。さて、どちらに向かうのか。出久とは別ベクトルにまっすぐなのが麗日。「麗日さんの節約メシ! 入門編 (最終回)」の潔さ!!

言い得ぬ - 悲しみのイレーヌ

『悲しみのイレーヌ』を読んだ。 『その女アレックス』 と同じ作者の作品。原作の発表順と邦訳の出版順が前後していて、『その女アレックス』が『悲しみのイレーヌ』の続編にあたる。 『その女アレックス』は途中からおいてけぼりを食わされた気分になってしまったけれど、こちらは最後までついていけた。そして読み終えた今、2つの意味でこちらを先に読みたかったと思っている。 まず『悲しみのイレーヌ』の結末が、『その女アレックス』で描かれてしまっている。ちゃんと順番に出版して欲しかったと思う。けれど、『その女アレックス』がの販売があったおかげで『悲しみのイレーヌ』が出版されたのかもしれない。そして、逆だったらここまで話題にならず読むこともなかったかもしれない。 それからもう一つ。こちらは印象に過ぎないのだけれど、『悲しみのイレーヌ』を読んでから『その女アレックス』をもっとおもしろく読めたんじゃないかという気がしている。本作を踏まえてこその『その女アレックス』だったんじゃなかろうか。

Cheers! - 神酒クリニックで乾杯を

『神酒クリニックで乾杯を』を読んだ。 「天久鷹央の推理カルテ」 シリーズや 『改貌屋』 と同じ作者の作品。 タイトルに「クリニック」とあるし、主要な登場人物は医者なんだけれど、医療要素は薄め。鷹央や柊を超える天才というかもはや超人も出てきて、何でもあり感が否めない。「陽気なギャングが地球を回す」シリーズを連想したのは、先日たまたま数年振りの続編が出ているのは見かけたからだろうか。 正直な感想としては、本作を単品で見ると「天久鷹央の推理カルテ」シリーズや『改貌屋』に比べると魅力に欠ける。一応ミステリィと言えばミステリィなんだけれど、みんな超人医師だから緊迫感をなくて、どうにも盛り上がれない。普通のミステリィならダイイングメッセージを残すのがやっとの瀕死の被害者も、この面々ならその医療技術で救って犯人を聞き出しかねない。それはそれでアンチミステリィとして痛快な気もするが。 でも、本作は位置づけがおもしろいので、今後に期待。本作は、作品間をつなぐハブの位置にある。「天久鷹央の推理カルテ」シリーズと舞台が同じなのは明らかだし、『改貌屋』とのつながりも示唆されている。『改貌屋』も本作もシリーズ化して、つなげていくための布石だと思うと楽しみ。

masked - 改貌屋

『改貌屋』を読んだ。 シリーズの 『I』 、 『II』 が面白かったので、同作者のこちらも。 こちらも医療ミステリィの範疇。こちらの主人公は、サブタイトル「天才美容外科医・柊貴之の事件カルテ」に書いてあるとおり、美容外科医。作中では、柊は「形成」外科医と名乗っている。「整形」外科医ではない。 こちらの方が〈天久鷹央の推理カルテ〉シリーズより好みだった。一番の理由は、柊というキャラクタの面白さ。(形成外科は自由診療だから規制する法はないのだけれど)法外な手術費をふっかけるけれど、腕は最高。まるでブラックジャックだ。 診療科が美容形成と、自分にとっては新鮮だったのもよかったのかもしれない。作中の蘊蓄も知らないことばかりだった。形成外科と整形外科の違いとか。 こちらも続いてシリーズ化するといいな。

鷹央の別の顔- 天久鷹央の推理カルテ II

『天久鷹央の推理カルテII―ファントムの病棟―』を読んだ。 前巻 と同じく短篇連作形式。収録されているのは次の3篇。 甘い毒 吸血鬼症候群 天使の舞い降りる夜 さらっと読める割には、最後にはずしりと重いからズルい。鷹央先生の脆さが描かれていたのが印象的。その天才ぶりで小鳥先生を振り回している普段の姿からは、想像もつかない姿だった。 この後は『III』、『スフィアの死天使』と続く。些細だけれど、『VI』相当から通し番号がなくなったのが、タイトルを忘れがちな自分には地味に辛い。

walk this way- 彼女は一人で歩くのか?

『彼女は一人で歩くのか? Does She Walk Alone?』を読んだ。 森博嗣の新シリーズ。シリーズ名は 浮遊工作室 (ミステリィ制作部) によると、Wシリーズ。walk-alone (ウォーカロン) の頭文字から取っているのかな? ウォーカロンといえば百年シリーズ。想像していたより、つながりが直接的だった。自分でもすぐに思い当たるくらい。いろいろと記憶がポンコツなので百年シリーズを読み返したくなる。その前に未読の『赤目姫の潮解』か。前2巻を文庫で買ったので、これも文庫で欲しいのだけれど、なかなか文庫化してくれない。だいたい2~3年後に文庫化されるようなので、2013年に単行本として出版された『赤目姫の潮解』が文庫化されるのは来年あたりだろうか。 本作は、SFエンターテインメントの形をしているけれど、作中で交わされる人間・思考・意識を巡る会話は思弁的。自分と他人とか、人間とそれ以外を区別しているのは、なんだろうか? そう考える一方で、それがなんであれ、社会的にどれくらい受け入れられるだろうか? とも想像する。AI効果という言葉があるくらいだから、大きな反発が生まれることが容易に想像できる。 でも、合理性や便利さに押し流されて、気がついたら引き返せないところまで行ってしまっている予感がする。強く反発する人に届くころには、大勢は決まってしまっている。