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どこがそこか - エクソダス症候群

エクソダス症候群 (創元日本SF叢書)『エクソダス症候群』を読み終えた。舞台は開拓中の火星。テーマは精神医療史。珍しい組み合わせに、恐る恐るページをめくり始めたけれど、いざ読み始めたら2日で読みきってしまった。

主軸は精神医療史の方で、火星は舞台装置。主人公カズキとチャーリーが交わす精神医療に関する議論を追いかけていると、色々と考えさせられる。ネタバレになるから詳しくは書かないけれど、精神医療のifが主題だった。

そう言えば、ちょうど先日読んだ『人を動かす対話術』の著者も精神科医だった。こちらでは、対話術(=カウンセリング?)の話だった。本書では薬の話も出てきて、人の心をある程度まで方向付けられることを改めて知らされる。『テキスト9』では完璧に制御できていたけれど、そんな未来は訪れるのだろうか。

もしそんな未来に辿り着いて、誰から何を言われようとも自分の浸りたい気分になれるとしたら、少なくとも今の形のコミュニケーションは成り立たないような気がする。薄ら寒い。そう思うけれど、そんな未来に生きていたらそれを当然として何も思わないんだろうなぁ。

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