『はじめて考えるときのように―「わかる」ための哲学的道案内』を読んだ。
本書のテーマは、タイトルの通り「考える」こと。
章構成は次の通り。
関連するエントリィをリストアップしておく。
まず、「考える」ことについて書いているエントリィ。
それから、特に「『論理的に』考えること」について書いたエントリィ。
最後に、実は本書の範囲から外れるのだけれど、「『ことばを使わないで』考える」ことについて書いたエントリィ。
本書の内容は、これらのエントリィを通して考えていたことの多くを含んでいた。
でも、本書ではそれらが論理的に構成されている。多数のエントリィに断片化しているのとは、対照的だ。
これが、考えていることを表現するということなのかな、と思う。
ところで、本書で印象的だったのは、次の一節。
そんなときこそ、問題を見直していいんだ、と肩の力が抜けた。
本書のテーマは、タイトルの通り「考える」こと。
章構成は次の通り。
- 「考える」ってなにをすることだろう
- 問いのかたち
- 論理的に考えるだって?
- ことばがなければ考えられない
- 見えない枠
- 自分の頭で考える?
関連するエントリィをリストアップしておく。
まず、「考える」ことについて書いているエントリィ。
それから、特に「『論理的に』考えること」について書いたエントリィ。
最後に、実は本書の範囲から外れるのだけれど、「『ことばを使わないで』考える」ことについて書いたエントリィ。
本書の内容は、これらのエントリィを通して考えていたことの多くを含んでいた。
でも、本書ではそれらが論理的に構成されている。多数のエントリィに断片化しているのとは、対照的だ。
これが、考えていることを表現するということなのかな、と思う。
ところで、本書で印象的だったのは、次の一節。
考えるということ。問題を考えるということ。それは問題をそのものを問うことだ。問いへの問いが、答えを求める手探りといっしょになって、らせんを描く。答えをの方向が少し見えて、それに応じて問いのかたちが少し見えてくる。そうするとまた答えの方向が見やすくなっている。そうして進んで行く。問題に、とくに問題のはっきりしない上っ面の言葉に囚われていると感じることがある。
そんなときこそ、問題を見直していいんだ、と肩の力が抜けた。