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休んで考える

『科学的とはどういう意味か』を読んだ。

科学的思考から目を背けると個人レベルでも不利益を被るし、そういう個人が多いと社会レベルでも危険が増す、と主張している。
『数字に弱いあなたの驚くほど危険な生活』(感想)と趣旨が似ている。

その通りだと思う。
印象、思い込み、先入観、ラベル、レッテル、ステレオタイプ。
このような言葉で表現される、事実に基づくとは限らない認識に従って行動を選択すると、往々にして望まない結果をもたらす。

もちろん、これらに影響されないことは不可能だ。
科学的に思考するのは印象を感じるより時間がかかるけれど、全ての選択に十分な時間をあてられるわけではない。
でも、統計よりも「1人のストーリー」が有効な理由 « WIRED.jp Archivesで紹介されているように、科学的思考を心がけることで軽減することはできる。

ところで、このテーマとはあまり関係ないけれど、次の箇所を読んで自分の印象が覆った。
森博嗣の作品の読者を母集団とすると、自分は少数派だったみたい。
小説を読む人と、ノンフィクションを読む人は、ほとんど重なっていない、というのが僕の印象だ(もちろん、作家名だけで両方を読む熱狂的なファンもいて、これはありがたいことだと思っているが)。
そして、小説を読む人数の方が(僕の作品の読者では)圧倒的に多い。本書のような新書を10冊書いて、小説1冊分くらいなのである。
小説を読んだら「小説」ラベルをつけたエントリィを、小説以外の本を読んだら「読書」ラベルをつけたエントリィを書いているから、比が簡単に分かる。
読んだ小説の数を1とすると、それ以外の読んだ本の数は1.3だ。
やや小説以外の方が多い。

ということは、小説の感想を書くときにノンフィクションを引き合いに出すと、読んだ人に取って新しい発見をしてもらえる可能性が高そうだ。
何てことを考えるのも、科学的思考だろうか。

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