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サーカスを探す

『サーカス象に水を』を読んだ。
本書では二つの時間軸上の物語が交互に進んでいく。

一つは、九十歳もしくは九十三歳の老人の物語。
もう一つは、その老人がまだ若かりし頃、サーカスで過ごした時の物語。

最初は、二つ目の時間軸、『星条旗よ永遠なれ』が鳴り響く中、サーカスから動物たちが脱走しているところから始まる。
『星条旗よ永遠なれ』が非常警報を意味している。
そのことは本書でももちろん振れられているけれど、奇遇にも、最近知ったばかりのことだったので驚いた。
『航路』(感想)で災害マニアのメイジーが、サーカスで起こった災害について蕩々と解説してくれていたおかげだ。

さらにメイジーはその災害のことを「ハートフォードのサーカス火事」と呼んでいるのだけれど、思いがけずに本書でそのサーカスの名前を知った。
そのサーカスの名前は〈リングリング〉だ。
本書では、その災害は「〈リングリング〉のハートフォードでの大火災」と表現されている。
調べてみると、この災害はこの災害でドラマがあって面白い。

それはさておき、本書は本書で楽しかった。
ミステリあり、冒険譚あり、恋愛あり、おまけに老人の愚痴・癇癪もある。
盛りだくさんでいて、しっかりとまとまっている。

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