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『モモ―時間どろぼうとぬすまれた時間を人間にかえしてくれた女の子のふしぎな物語』を読んだ。

小学生の頃に読んだことがあるような気もするし、初めて読むような気もする。
記憶が定かではない。
あまりに有名だから読んだ気になっているだけだったかもしれない。

「時間がない」と思わず言ってしまうようになった今読むと、この不思議な物語はとても重い。
その重さは、時間がなくなったと感じるよう原因を作ったのは、自分たちというところから来ている。
「じゃあ灰色の男は、人間じゃないの?」
「いや、ちがう。彼らは人間のすがたをしているだけだ。」
「でもそれじゃ、いったいなんなの?」
「ほんとうはいないはずのものだ。」
「どうしているようになったの?」
「人間が、そういうものの発生をゆるす条件をつくり出しているからだ。それに乗じて彼らは生まれてきた。そしてこんどは、人間は彼らに支配させるすきまで与えている。それだけで、彼らはうまうまと支配権をにぎるようになれるのだ。」
『隷属への道』でのハイエクの言葉に通じるものがある。
思想の変化と人の意志の力が、現在あるがままの世界をつくった――もっとも人々はその結果を予見しなかったけれども。
世界は思い通りにはならない・なっていないという現状を認識する必要があると思う。

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