『ぼくには数字が風景に見える』を読んだ。
自閉症スペクトラムに属する筆者が、本を書いたという事実に驚く。
そして驚く自分は偏見を持っているのだろう、と反省する。
ところでニュースなどを見ていると、スペクトラムを持つ問題をそうとは捉えずに議論していることが多いように思う。
つまり、程度問題にも関わらず、二元論的に議論していることが多く見受けられる。
そうすることの、メリットは分かる。
分かり易い物語ができる。
程度問題――特に連続値を取り得る程度問題は、容易に認知限界を超える。
そうすると分かりにくくなる。
確かに、問題を分かりやすい形で捉えることで、解決の糸口が見えることもあるだろう。
けれど、過剰に単純化していないだろうか?
間違った問題に対する正確な解決より、正しい問題に対するほどほどの解決の方が事態を改善する。
もっと問題を正確に理解することに、コストを費やしてもいいように思う。
自閉症スペクトラムに属する筆者が、本を書いたという事実に驚く。
そして驚く自分は偏見を持っているのだろう、と反省する。
ところでニュースなどを見ていると、スペクトラムを持つ問題をそうとは捉えずに議論していることが多いように思う。
つまり、程度問題にも関わらず、二元論的に議論していることが多く見受けられる。
そうすることの、メリットは分かる。
分かり易い物語ができる。
程度問題――特に連続値を取り得る程度問題は、容易に認知限界を超える。
そうすると分かりにくくなる。
確かに、問題を分かりやすい形で捉えることで、解決の糸口が見えることもあるだろう。
けれど、過剰に単純化していないだろうか?
間違った問題に対する正確な解決より、正しい問題に対するほどほどの解決の方が事態を改善する。
もっと問題を正確に理解することに、コストを費やしてもいいように思う。