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山あれば谷あり

ようやくハリー・ポッターシリーズ最終巻『ハリー・ポッターと死の秘宝』を読んだ。

本書に対する感想は、訳者あとがきとほぼ同じなので割愛。

全7巻を振り返ってみると、第5巻『ハリー・ポッターと不死鳥の騎士団』だけがやけに印象が薄い。
Wikipediaであらすじを読み返しても、第5巻だけディティールを思い出せない。

ハリーがうじうじとしていたという曖昧な記憶しかない。
今思うと山場(第6, 7巻)の前の谷だったように思う。

全巻を通読した今、もう一度読み返してみたくなるけれど、分量が分量なだけに手を出しづらい。

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