Red Hot Chili Peppersのアルバム『By The Way』を久しぶりに聴き直して、自分の見方(聴き方か?)が変わっていることに気がついた。
アルバムを買った当時は、タイトルトラックのBy The Wayがとにかく気に入っていて、他の曲はほとんど印象に残っていなかった。それが、今回聴き直してみると、By The WayやCan't Stopのような攻撃的な曲よりも、むしろThe Zephyr Songのようなバラードの方が印象深い。
思えば、次のアルバム『Stadium Arcadiumで、最も強く印象に残っているのもバラード――Wet Sandだ。この曲の最後、掻き毟るようなジョン・フルシアンテのギターが初めて聴いた時から忘れられない。でも次に印象に残っているのがTourture Meというあたり、両方の要素があるからこそ自分はRed Hot Chili Peppersを好きなのだろうな、とも思う。
Amazon.co.jpのレビューでは、『Mother's Milk』や『Blood Sugar Sex Magik』のような、より攻撃的な曲で構成されたアルバムを望んでいる人も少なくないように見える。『Blood Sugar Sex Magic』は数回聴いたきりだけれど、こういうレビューを読むと聞き返したくなる。
ところで、こうした意見の対立は求めるバランスの違いによって生じている、と自分は思う。
同じ評価軸の上でどの位置に立つのが良いか、でもめているように見える。つまり、個々人の好きな位置に関する主張で対立しているけれど、評価対象の位置に関しては意見が一致している。
この認識だと、印象に残る曲が変わったのは、自分の位置が移動したことを意味している。
それはそうか。録音された曲の方が変わることはない。