『〈映画の見方〉がわかる本 ブレードランナーの未来世紀』を半分ほど読んだ。正確にいうと、全8章のうち、評論対象の映画を観たことがある次の4章を読んだ。
複数の偶然が重なって、第8章を目当てに読んだのだけれど、一番おもしろかったのは第7章だった。予期しなかった分、下駄を履かせているかもしれないけれど。
複数の偶然というのは、これくらいの偶然。
第8章がおもしろくないと感じたのは、締め方が原因だと思う。最後の節「新しい夢を」で、こんな風に書かれている。
その印象が顕著に強まったのは、この時期かもしれないとは思う。理由となる仮説を挙げておく。
第7章がおもしろかったのは、まさにその過去からの影響の話だった。
まず、『ブレードランナー』でバッティを演じたルトガー・ハウアーが、その前後にヴァーホーヴェン監督作品に出演していたり、『ロボコップ』が『ブレードランナー』を意識した作品だったりする。
あと、ヴァーホーヴェンがヒエロニムス・ボッシュ[3]の絵を愛していたというエピソードも印象的だった。数ヶ月前に、『ブリューゲル「バベルの塔」展』でヒエロニムス・ボッシュ作品を観たし、その前には『BABEL Higuchi Yuko Artworks原画展』でそれらを下敷きとした作品を観たところだったので。
これら80年代の映画の評論を読んで、最近見た作品とのつながりについて考えていると、「革新的」で「革命的」なものもそれが登場するまでの流れからのギャップに過ぎず、歴史は振り子のように繰り返しているのかもしれない、と乱暴なことを思う。思想史的には『いま世界の哲学者が考えていること』の第1章なんかおもしろかった。
映画的には1980年代的な作品への揺り戻しの時期なんだろうか。2014年に『ロボコップ(リメイク版)』が公開されているし、『ターミネーター』も2009年に続編『ターミネーター4』2015年にリブート『ターミネーター:新起動/ジェニシス』、そして『ブレード・ランナー2049』が今年公開されて、『グレムリン』も新作が企画されたりしている[4]。あと未見だけれど、「第5章 デヴィッド・リンチ『ブルーベルベット』」のデヴィット・リンチ監督の『ツインピークス』も今年新シーズンが放送されたらしいし。
と、いう話を散々しておいてなんだけれど、こういう話って本でいうと『読んでいない本について堂々と語る方法』だということに思い至って、虚無感が出てきたのでこのあたりで。こういうのはこういうので楽しいんだけれど、一定以上こちらに重心が偏り過ぎると面倒臭さが。
何の予備知識もなく観て、「あー、おもしろかった」で終わるのもいいよね。
- 第2章 ジョー・ダンテ『グレムリン』テレビの国から来たアナーキスト
- 第3章 ジェームズ・キャメロン『ターミネーター』猛き聖母に捧ぐ
- 第7章 ポール・ヴァーホーヴェン『ロボコップ』パッション・オブ・アンチ・クライスト
- 第8章 リドリー・スコット『ブレードランナー』ポストモダンの荒野の決闘者
複数の偶然が重なって、第8章を目当てに読んだのだけれど、一番おもしろかったのは第7章だった。予期しなかった分、下駄を履かせているかもしれないけれど。
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複数の偶然というのは、これくらいの偶然。
- 『ブレード・ランナー2049』が公開された10/27 (金) 直後の週末に、
- 東京から名古屋・大阪へと出かける予定だったので観に行けず、
- その隙に、泊まった先で予習的に『ブレードランナー』を観た後、
- 移動中に読もうと思っていた本[1]を往路で読み終えてしまって帰り道どうしようかと思っていたところ、
- Twitterで『ブレード・ランナー2049』公開に合わせて本書が文庫化されていると知り、
- 本屋でちょっとした空き時間を潰していたら、ちょうど面陳列されていたのに気がついて購入して、
- 帰りの新幹線が悪天候で遅延して、十分な読書時間が発生した。
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第8章がおもしろくないと感じたのは、締め方が原因だと思う。最後の節「新しい夢を」で、こんな風に書かれている。
『ブレードランナー』以降、映画に登場する未来はみんな『ブレードランナー』になってしまった。
未来都市だけでなく、すべてのハリウッド映画がポストモダン建築のように過去の映画の寄せ集めになってしまった。
それは映画に限ったことではなく、音楽、美術、文学、どれもコラージュ、パスティーシュ、サンプリング、シミュレーションばかり。本当に「革新的」で「革命的」なものは生まれなくなった。あまりにも多くのものがすでに作られてしまった。
引用元:〈映画の見方〉がわかる本 ブレードランナーの未来世紀けれど、それを言ったら『ブレードランナー』以前からそうじゃなかろうか。脚本は(大幅に改変されているとは言え)原作小説『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』が存在するし、ビジュアルイメージはバンド・デシネ[2]『ロング・トゥモロー』がもととなっていると本書が解説していることなんだから。
その印象が顕著に強まったのは、この時期かもしれないとは思う。理由となる仮説を挙げておく。
- 複製技術が導入しやすくなって、作り手が過去を寄せ集めやすくなった。
- 利益追求の正確が強くなって、そんなに売れないであろう「革新的」で「革命的」なものを、売り手が求めなくなった。
- アーカイヴや検索技術が充実して、受け手が過去作からの影響を発見しやすくなった。
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第7章がおもしろかったのは、まさにその過去からの影響の話だった。
まず、『ブレードランナー』でバッティを演じたルトガー・ハウアーが、その前後にヴァーホーヴェン監督作品に出演していたり、『ロボコップ』が『ブレードランナー』を意識した作品だったりする。
『ブレードランナー』は、人間のように見える刑事の物語だ。では、ロボットのように見える人間の刑事の話はどうだろう?
引用元:〈映画の見方〉がわかる本 ブレードランナーの未来世紀
あと、ヴァーホーヴェンがヒエロニムス・ボッシュ[3]の絵を愛していたというエピソードも印象的だった。数ヶ月前に、『ブリューゲル「バベルの塔」展』でヒエロニムス・ボッシュ作品を観たし、その前には『BABEL Higuchi Yuko Artworks原画展』でそれらを下敷きとした作品を観たところだったので。
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これら80年代の映画の評論を読んで、最近見た作品とのつながりについて考えていると、「革新的」で「革命的」なものもそれが登場するまでの流れからのギャップに過ぎず、歴史は振り子のように繰り返しているのかもしれない、と乱暴なことを思う。思想史的には『いま世界の哲学者が考えていること』の第1章なんかおもしろかった。
映画的には1980年代的な作品への揺り戻しの時期なんだろうか。2014年に『ロボコップ(リメイク版)』が公開されているし、『ターミネーター』も2009年に続編『ターミネーター4』2015年にリブート『ターミネーター:新起動/ジェニシス』、そして『ブレード・ランナー2049』が今年公開されて、『グレムリン』も新作が企画されたりしている[4]。あと未見だけれど、「第5章 デヴィッド・リンチ『ブルーベルベット』」のデヴィット・リンチ監督の『ツインピークス』も今年新シーズンが放送されたらしいし。
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と、いう話を散々しておいてなんだけれど、こういう話って本でいうと『読んでいない本について堂々と語る方法』だということに思い至って、虚無感が出てきたのでこのあたりで。こういうのはこういうので楽しいんだけれど、一定以上こちらに重心が偏り過ぎると面倒臭さが。
何の予備知識もなく観て、「あー、おもしろかった」で終わるのもいいよね。
[1] Wシリーズ7作目『ペガサスの解は虚栄は虚栄か?』。シリーズ1作目『彼女は一人で歩くのか?』のエピグラフとして、『ブレードランナー』の原作『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』が引用されている。
[2] 乱暴に説明するとフランスのコミックのこと。
[3] 本書の表記に習う。『ブリューゲル「バベルの塔」展』などでは、「ボッシュ」ではなく「ボス」表記だった。
[4] 『グレムリン』第3弾は現代が舞台!新キャラも登場 - シネマトゥデイ
[2] 乱暴に説明するとフランスのコミックのこと。
[3] 本書の表記に習う。『ブリューゲル「バベルの塔」展』などでは、「ボッシュ」ではなく「ボス」表記だった。
[4] 『グレムリン』第3弾は現代が舞台!新キャラも登場 - シネマトゥデイ