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One more cup of - 珈琲の世界史

『珈琲の世界史』を読んだ。『コーヒーの科学』と同じ方が書いた本。

続編というよりは、姉妹編とでも言えばいいのかな。『コーヒーの科学』の草稿にはあったけれど大幅にカットされたコーヒーの歴史について、まるまる1冊を費やしたのが本書になる。
本書は(ページ数を減らすため、草稿を大幅にカットはしましたが)これまでに私が得た知識の集大成の一つです。
引用元: 『コーヒーの科学』「おわりに」
ただ、じつはこの「コーヒーの歴史」の章、草稿段階では相当な文章量だったのですが、理系的な話を中心にするために大幅に削ることになり、泣く泣く栽培史と技術史だけに絞り込んだという「裏事情」があります(ブルーバックスですから、仕方ありません)。
引用元: 『珈琲の世界史』「はじめに」

『コーヒーの科学』を読んで、
なお、「草稿を大幅にカット」してこれらしい。草稿読んでみたいなぁ……。引用元: Mirror House Annex: &シガレッツ - コーヒーの科学
と思っていたので、希望が叶ってありがたい。

話の中心が科学から歴史へと移ったけれど、濃さは変わらず。長ーーーーーい歴史が、1冊の新書に圧縮されている。「1章 コーヒー前史」ではコーヒーノキのルーツを探って、約1440万年前まで遡る。もちろんまだ人類は生まれていない。人類のルーツである猿人が生まれたのが約700万年前だ。そして、「終章 コーヒー新世紀の到来」では、サードウェーブの話題までカバーしている。耳にするようになったのは、ブルーボトルが日本に出店した2015年からなので、ほんのここ数年の話。

印象的だった話を3つだけ抽出してみる(挙げ出すと終わらない)。

まず、サードウェーブが何なのかよくわかっていなかったので、本書を読んでようやくスッキリしたのが嬉しい。科学用語と違って、こういうコピーの類には厳密な定義がないから、こうやって歴史――由来や使われ方から入った方が飲み込みやすい。

それから、イギリスとアメリカの歴史。紅茶のイメージが強いイギリスだけれど、お茶が伝わる前の17世紀はコーヒーの国だっとか、そこから18世紀後半に紅茶の国になった経緯とか、そのイギリスの植民地だったアメリカがなぜ今はコーヒー大国なのかとか[1]、気になるトピックが盛りだくさんだった。

最後に、本好きなので、コーヒーについて書かれた文献についての話も興味津々。文献が残っていない400年の空白期間があったとか、妄想が膨らむ。


最後に余談。

BGMに何を聴こうかと、ふと手持ちの音源を"Coffee"で検索したら、The White Stripesの"One More Cup of Coffee"が見つかったので聴いている。そう言えばこの2人、映画"Coffee and Cigarettes"に出ていたっけ。The White Stripesと映画と言えば、"Apple Blossom"が使われていた映画"The Hateful Eight"でもコーヒーが出てきたなあ(使われ方が不幸だけれど……)、などといろいろと思い出す。

本書でも『最高の人生の見つけ方』はじめ映画にも言及しているのに、そのときはまったく思い出さなかったのが不思議なくらい。

[1] もう少し込み入った背景があるらしい。ついていけないけれど『珈琲の世界史』に入るかもしれない「細かすぎて伝わらない」ネタの話 - Togetterまとめにメモしておく。

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