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音楽と苦楽

音楽の科学---音楽の何に魅せられるのか?『音楽の科学』を読んだ。『響きの科学』とよく似たタイトル。重なる部分もあるけれど、それは基礎知識に相当する部分で、主題は異なる。『響きの科学』が楽器の特性など工学的にアプローチしていたのと対象的に、こちらはメロディの認識など認知心理学的にアプローチしている。

600ページ超と厚い中に、知らない固有名詞がガンガン出てきたり冗長に感じられる記述が多かったり、となかなか読みにくかったけれど、主張には大いに同意。主張の内容は、本書が紹介しているベートーヴェンの次のエピソードに端的に表れている。
ベートーヴェン自身は、『交響曲第三番』の意味を人から尋ねられたとき、何も言わずにピアノの前に座り、まさにその『交響曲第三番』を演奏し始めたと言われている。
音楽に限らず、非言語表現は言語に還元できないから非言語表現を取っているわけであって、それを言語化しようとするには限界があると実感している。このブログの落描ラベルのエントリィは、描いた絵について書いた文だけれど、絵にしている(したいと思っている)部分は文には書いていないし書けない。

そういう言葉にできないものがあるから、非言語表現が豊かになっているんだろうなぁ、と。

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北へ - ゴールデンカムイ 16

『ゴールデンカムイ 15』、『〃 16』を読んだ。16巻を読み始めてから、15巻を買ったものの読んでいなかったことに気がつく。Kindle版の予約注文ではままあること。 15巻は「スチェンカ・ナ・スチェンク」、「バーニャ(ロシア式蒸し風呂)」と男臭いことこのうえなし。軽くWebで調べてみたところ、スチェンカ・ナ・スチェンク (Стенка на стенку) はロシアの祭事マースレニツァで行われる行事のようだ[1]。それなりになじみ深いものらしく、この行事をタイトルに据えたフォークメタルStenka Na StenkuのMVが見つかった。 16巻では杉元一行は巡業中のサーカスに参加することになる。杉元と鯉登の維持の張り合いが、見ていて微笑ましい。鯉登は目的を見失っているようだが、杉元もスチェンカで我を失っていたので、どっこいどっこいか。なお、サーカス/大道芸を通じた日露のつながりは、実際にもこのような形だったようだ[2]。 個々のエピソードから視線を上げて、全体の構図を眺めてみると、各勢力がすっかり入り乱れている。アシㇼパは尾形、キロランケ、白石とともにアチャの足跡を辿り、そのあとを鶴見のもとで家永の治療を受けた杉元が鯉登、月島を追っている。今更だけれど、杉元やアシㇼパは、第七師団と完全に利害が衝突していると考えていないはずだった。一方で、土方一味も入墨人皮を継続。むしろ彼らの方が第七師団との対立が深刻だろう。さらに北上するキロランケはまた別の目的で動いているようだけれど、なんで尾形も一緒なんだっけ? 『進撃の巨人』に引き続き、これもそろそろ読み返す時期か。 [1] 5つの暴力的な伝統:スラヴ戦士のようにマースレニツァを祝おう - ロシア・ビヨンド [2] ボリショイサーカスの源流は、ロシアに渡った幕末日本の大道芸人たちにあった 脈々と息づく「クールジャパン」 | ハフポスト

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