『ヴォイド・シェイパ』を読んだ。
本書は侍の物語。
同著者の『スカイ・クロラ』シリーズと同じく、戦士の物語。
しかし、本書の主人公ゼンは、『スカイ・クロラ』シリーズの主人公とは対照的に描かれているように思う。
好戦的じゃないし、世間を理解しようとしているし、師の言葉についてずっと考え続けている。
自分もある特定の事柄についてずっと考え続けていることがある。
ずっと考えているというと、正確ではないかもしれない。
断続的に考え続けている、と言った方が近い。
こういうスタイルは、何となく一般的ではないのだろう、と思う。
ある事柄について、分かっている分かっていないか、はっきりすることが求められているように感じることがある。
被害妄想かもしれないけれど。
ただ、それを感じている人は他にもいるのか、分からないことを、見なかったこと聞かなかったことにしたりする人や、自分が分かることに無理矢理当てはめたりする人や、価値のないことだと見なしたりする人がいる。
自分もそういうことがあるけれど、この選択は、自分の限界を決めている。
分からないことを分からないまま受け止めて、時々思い出して、それでもまだ分からなくて、後から「ああ、そういうことだったのか」と分かることがある。
その時が、ほんの少しだけ自分の限界が広がる瞬間だと思う。
もっとも、広げるのはその瞬間ではなく、それまでの反復で、それまでずっとモヤモヤを抱え続けることになる。
そうやって抱えているのは、きっと大事なことだと思う。
どうでもいいことは、忘れている。
あるいは、そもそも覚えない。
本書は侍の物語。
同著者の『スカイ・クロラ』シリーズと同じく、戦士の物語。
しかし、本書の主人公ゼンは、『スカイ・クロラ』シリーズの主人公とは対照的に描かれているように思う。
好戦的じゃないし、世間を理解しようとしているし、師の言葉についてずっと考え続けている。
自分もある特定の事柄についてずっと考え続けていることがある。
ずっと考えているというと、正確ではないかもしれない。
断続的に考え続けている、と言った方が近い。
こういうスタイルは、何となく一般的ではないのだろう、と思う。
ある事柄について、分かっている分かっていないか、はっきりすることが求められているように感じることがある。
被害妄想かもしれないけれど。
ただ、それを感じている人は他にもいるのか、分からないことを、見なかったこと聞かなかったことにしたりする人や、自分が分かることに無理矢理当てはめたりする人や、価値のないことだと見なしたりする人がいる。
自分もそういうことがあるけれど、この選択は、自分の限界を決めている。
分からないことを分からないまま受け止めて、時々思い出して、それでもまだ分からなくて、後から「ああ、そういうことだったのか」と分かることがある。
その時が、ほんの少しだけ自分の限界が広がる瞬間だと思う。
もっとも、広げるのはその瞬間ではなく、それまでの反復で、それまでずっとモヤモヤを抱え続けることになる。
そうやって抱えているのは、きっと大事なことだと思う。
どうでもいいことは、忘れている。
あるいは、そもそも覚えない。