『もうすぐ絶滅するという紙の書物について』を読んだ。
本書は、ウンベルト・エーコとジャン=クロード・カリエールの対談本。テーマは本。
ウンベルト・エーコは『薔薇の名前』や『フーコーの振り子』の作者として知っている。一方、ジャン=クロード・カリエールという人は知らなかったけれど、脚本家らしい。
タイトルからは、紙の書物がもうすぐ電子書籍に取って代わられる、と読めるけれど、中身にそんな主張はない。対談している二人は、筋金入りの愛書家。インターネットや電子書籍を頭ごなしに否定することはないけれど、紙の書物の良さを飽くことなく語ってくれる。
自分も本が好きだ。紙の書物が好きだ。どんなところが好きか、エーコの次の言葉から借りる。
だから、メディアミックスものや、未完のシリーズものが、ちょっと苦手。メディアミックスものも、多くの人が関わるようになるので、「水入らずの感じ」を損なう。未完のシリーズものは「囲い込み」切れていないと感じてしまう。
ジャン=クロード・カリエールの言葉からの孫引きになるけれど、次の言葉も印象深かった。
冒頭の写真は本書を背表紙とは反対側から撮ったもの。凝った装丁が素敵。
本書は、ウンベルト・エーコとジャン=クロード・カリエールの対談本。テーマは本。
ウンベルト・エーコは『薔薇の名前』や『フーコーの振り子』の作者として知っている。一方、ジャン=クロード・カリエールという人は知らなかったけれど、脚本家らしい。
タイトルからは、紙の書物がもうすぐ電子書籍に取って代わられる、と読めるけれど、中身にそんな主張はない。対談している二人は、筋金入りの愛書家。インターネットや電子書籍を頭ごなしに否定することはないけれど、紙の書物の良さを飽くことなく語ってくれる。
自分も本が好きだ。紙の書物が好きだ。どんなところが好きか、エーコの次の言葉から借りる。
ハイパーテキストという仕組みは、著者と読者の間に特有の水入らずの感じを必然的に損なうでしょう。何かを「囲い込む」ものという本のイメージは失われ、それによってある種の読み方は間違いなく姿を消すでしょう。ハイパーテキストが損なうと言っている水入らずの感じが好きだ。「囲い込む」ものとしての本が好きだ。
だから、メディアミックスものや、未完のシリーズものが、ちょっと苦手。メディアミックスものも、多くの人が関わるようになるので、「水入らずの感じ」を損なう。未完のシリーズものは「囲い込み」切れていないと感じてしまう。
ジャン=クロード・カリエールの言葉からの孫引きになるけれど、次の言葉も印象深かった。
読書は咎められない悪習だと言った人がいました。そうなんだよなぁ。読んでる場合じゃないのに読んでしまっていることがしばしば。
冒頭の写真は本書を背表紙とは反対側から撮ったもの。凝った装丁が素敵。