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7月, 2010の投稿を表示しています

繰り返す曲線

『借りぐらしのアリエッティ』( 公式サイト ) を観た。 タイトルロゴの、しつこいくらいの曲線の繰り返しが印象的。 「ぐ」と「エ」を以外の全部で、現われている。 内容に派手さはないし、舞台も一軒家の中に限られている。 けれど、小人の始点で描かれていると、新鮮。 特に、水滴の表現にはハッとした。 ところで、公式サイトのトップページが何だかシュール。 「Now Showing」のすぐ下に、「人間に見られてはいけない。」って書いてある。

Dream in Dreamin' Dream in

『インセプション』 ( 公式サイト )を観た。 本作は、『ダークナイト』( 感想 )の、クリストファー・ノーラン監督の作品。 ダークナイトと同じく、上映時間が長い。約2時間30分ある。 けれど、後半はスリリングであっと言う間だった。 特に車が落下し始めてからは、緊張しっぱなし。 映像も美しいし、音楽も印象的だったし。 良い映画だったと思う。 気に入っているのは、「パラドックスだ」のシーン。

Too High

『アドレナリンジャンキー』 を読んだ。 本書では、副題『プロジェクトの現在と未来を移す86パターン』が示す通り、プロジェクトにありがちな86のパターンが示されている。 手に取ったきっかけは、最近の自分の働き方に対する疑問。 「この働き方は、外から見たどう見えるのだろう」 何となく上手い働き方ではないとは感じているけれど、どうもすっきりしない。 86もパターンがあれば当てはまっているものもあるだろう、と思いながら目を通してみた。 多かれ少なかれ当てはまっていると感じたパターンは、次の5つ。 アドレナリンジャンキー 一人一役 永遠の議論 映画評論家 身につかない教訓 1に書いてある通り長期的な見通しがない上に、2なので長期的な見通しを立てる余力がない。 3~5は互いに関連していて、変化に対する抵抗となって現われているように思う。 さて、パターンは見えてきたけれど、どうしたものか。 それを考えるのが次のステップか。

どこまで墜ちる

『されど罪人は竜と踊る9』 を読んだ。 本書は、ついに書き下ろしとなった、移籍元最終刊の続き。 3, 4も書き下ろしの長編だったけれど、続きではなく合間に追加された物語だった。 次巻も読むだろうな、と思う。 もっと酷いことになるのかなぁ、と不安を抱きつつ。

言語の語源

『知性の限界』 を読んだ。 本書は 『理性の限界』 ( 感想 )の続編にあたる。 本書も前作同様、盛りだくさん。 記憶に残っている人名だけでも、ウィトゲンシュタイン、ポパー、ファイヤアーベントなどなど。 個人的な発見は、ウィトゲンシュタイン。 哲学では、日常的な言葉を形而上の概念を表すのに使っているが、その使い方に意味がないと言っている。 でもこれは哲学だけじゃなくて、日常でもしょっちゅう問題になっていると思う。 議論が空中戦になるとき、多分、同じ言葉でみんな違う意味で理解している。

潮流のち酔う理由

『現代思想入門』 を読んだ。 本書は、第2次世界大戦後に出てきた次の4つの思想について、概略を紹介したもの。 フランクフルト学派 ポスト構造主義 現代リベラリズム カルチュラル・スタディーズとポストコロニアリズム これまで自分は主にポスト構造主義の(と言うか、デリダの)本ばかり読んできたけれど、他にはどんな思想があるのか興味が沸いてきたので手に取ってみた。 こんな思想の潮流なんだなぁ、とぼんやりと感じることができたので、悪くはなかったと思う。 クリアに理解できないのは、自分が固有名詞を理解できないからだろう。 ところで、さらに詳しく知ろうと思う読者のために、思想ごとにBook Guideがついているのだけれど、その量が多い。 選り取り見取り、と思うと同時に、これだけは読めないな、とも思う。 特に、カルチュラル・スタディーズとポストコロニアリズムのBook Guideは、前置きで最低限基礎的な古典文献は読んでおいて欲しいと前置きし、9人もの思想家の名を挙げる(参考までにその9人を列挙すると、デカルト、カント、ルソー、モンテスキュー、ヘーゲル、マルクス、ハイデガー、アドルノ、ベンヤミン)。 その上で、22冊もの書籍を紹介しているので、単純計算で少なくとも31冊。 これは、本書の「はじめに」で述べられている通り、 「偉大なる思想家」が「偉大」であると社会的に認められるには、それに「少し先行する時代」、あるいは「同時代」の「思想家たち」と関係付けられ、比較されることが前提になる ためだろう。 この繰り返し他の思想家たちと関連付けられる点が、自然科学と大きく異なると思う。 自然科学における理論が認められる前提は、観察結果と一致することで、一致しない理論は、顧みられなくなる。 今時、エーテルやオキシジェンについて、真面目に議論する科学者はいない。 思想の対象は思想のフィードバックを受けて変わるけれど、自然科学の対象は変わらないからだろうか。

ないものはないのか誰も知らないだけなのか

『ハーバーマスとデリダのヨーロッパ』を読んだ。 本ではないけれど文章には違いないので、ラベルは読書とした。 では何かというと、下記の通り報告用原稿が元になっている。 本稿は2 0 0 5年1 0月 2 2日(土)早稲田政治学会で行われた共通シンポジウム「9・1 1以後のヨーロッパ政治」の際の報告の下敷きになった原稿に加筆訂正したもの 『ハーバーマス (1冊でわかる)』 ( 感想 )を読んだのがきっかけで、ハーバーマスとデリダについてWebで調べていたときに見つけた。 自分が感じたことに近しいことが一般化されていて、多くの人にそういう傾向があるのだな、と理解した。 ちなみに、自分が感じたことは、下記の通り。 こうして考えると、理解できなかったのは、感情的抵抗があったのかも知れないと思う。 自分が好むポストモダンを攻撃している人の思想だから、受け入れがたかったのかもしれない。 そのものずばりという訳ではないけれど、本稿では下記のように書いている。 当該の神様=思想家の書いたものをたくさん読んでいる方が,その神様=思想家をちょっとかじった人間よりものがよく見えるという特権性が自動的に発生するという思い込みは,日本独特と言ってもいい。 ある思想家の書いたものを読んでいると、そうでないものを受け入れがたくなるということだと思う。 社会心理学用語で言うと、「確証バイアス」。 つい先日読んだ 『虐殺器官』 ( 感想 )でも、統計的事実を無視して見たいものだけを見ている様が、否定的に書かれていた。 都合の悪い事実からは、目を逸らしたくなる。 バイアスは錯覚と同じで、避けがたい傾向だと思う。 だから、排除するためのシステマチックな工夫が必要。 さらに、相手が確証バイアスに陥っていることを指摘するには、自分が陥っていないことを示す必要がある気もするけれど、それは悪魔の証明か。

逆虐殺

『虐殺器官』 を読んだ。 SFに分類されているけれど、9.11以降の近未来を舞台としているため、描写される風景には、既に起こっている問題も多い。 それらの問題を、自分が読んだ関連書籍と併せて列挙する。 他にもあるかもしれないけれど、自分が気づいた限り、以下の通り。 既に戦争は国が行うものではなくなっている。 『戦争請負会社』 ( 感想 ) 『外注される戦争―民間軍事会社の正体』 ( 感想 ) 実際にあちこちで子どもはカラシニコフ(AK-47)を抱えて戦っている。 『子ども兵の戦争』 ( 感想 ) 『カラシニコフ』 ( 感想 ) 戦争を正義と認識させるための専門家が存在する。 『戦争広告代理店』 ( 感想 ) これはまだ少し先の話だけれど、精神状態の操作についても、自由度が上がるにつれ問題視されるようになるだろう。 『マインド・ウォーズ 操作される脳』 ( 感想 ) 統計が示す事実と、多くの人間が真実と認識しているもののギャップは、埋めがたいものなのだろうか。 そして、実効性がないけれど納得性の高い手段と、実効性はあるけれど納得性の低い手段は、どちらがベターなのだろうか。 (その手段が解決しようとしている問題によるか)

さしもの武蔵も

『境界線上のホライゾン3〈中〉』 を読んだ。 前巻 ( 感想 )のラストに登場した新キャラクタが大活躍する。あれ、色んな意味で大丈夫なんだろうか。 本シリーズはこれで6冊目だけれど、毎回複数の盛り上がりがあって、どれだけテンション高いんだ、と思う。 もう一つの見所は、武蔵シロジロ・ベルトーニとM.H.R.R.ゲーリケとのある対決。 対決方法については、読んでみてのお楽しみということで。 あとがきによると、次巻は9月とのこと。 次の表紙は誰だ!?

何を見ているのか

『ハーバーマス (1冊でわかる)』 を読んだ。 本書は、タイトルになっているハーバーマスという哲学者の思想の入門書。 一通り読んだけれど、いまいち理解できていない。 広範な内容を扱っている上に一文が長いため、文章間の関連が見えにくい。 これでも入門書という位置づけなので、敷居の高さを感じた。 詳細を理解できなかったが、分野はざっくりと整理できた。 ハーバーマスは、フランクフルト学派に属している。 プラグマティズムから影響を受けており、ポストモダンへは攻撃している。 こうして考えると、理解できなかったのは、感情的抵抗があったのかも知れないと思う。 自分が好むポストモダンを攻撃している人の思想だから、受け入れがたかったのかもしれない。 それから背景知識の偏りもあるだろう。 上記の3分野のうち、自分が一番よく読んでいるのが、ポストモダン。 特に、ジャック・デリダの著書は何冊か読んでいる。 プラグマティズムについては、入門書である 『哲学の最前線』 を読んだことがあるくらい。 フランクフルト学派については、本書で初めて触れた。 ところで、まさにこのハーバーマスとデリダの共著が見つかった。 『テロルの時代と哲学の使命』 というタイトルで、9.11以降の時代について書いているらしい。 これは読んでみたい。 哲学は、自然科学と違って、分野間の整合を軽視しているように見える。 何を観察した結果について、議論しているのか見えにくいからだろうか。

漂流者

『ドリフターズ 1巻』 を読んだ。 2008年に完結した 『HELLSING』 ( 最終巻の感想 )の作者が、現在ヤングキングアワーズで連載している漫画の1巻。 ヤングキングアワーズは読んでいないので、これが初見。 初っぱなから大いに盛り上がる。 いきなり『HELLSING』終盤並の戦争がおっぱじめられるし、相変わらずどの登場人物も格好良くて酷い。 まだまだ世界観が広がるのはこれからなのだろうけれど、1巻で出てきた情報だけで色々な想像が膨らむ。

何が見えている

This work by SO_C is licensed under a Creative Commons Attribution-ShareAlike 3.0 Unported License . もちろんこんな風に人間が見えているわけではない。 自分の場合、頭の中に描く絵そのものも浮かばない。 でも、絵に描くとこうなる。 どこから来たんだろうか、と不思議に思う。

職業という苦行しよう - 小説家という職業

『小説家という職業』 を読んだ。 『自由をつくる自在に生きる』 、 『創るセンス 工作の思考』 に続く、同時期に書かれた新書の3冊目。 内容が出版順に具体的になってきているように感じる。重心がWhatからHowに移動している。 そう言えば、著者は、自由をつくるために小説家という職業を選んだのだっけ。それで、自由になって工作をしている、という見方は単純化し過ぎだろうけれど、分かりやすい構図にはなる。ちなみに分かりやすさと正しさとは関係ない。 自分は書くことを好きだと自覚していて、実際こうしてブログを書いているるけれど、職業にしたいとは思っていない。それで良かったと思う。本書を楽しめた。本書を読む目的が、職業にするにはどうすればいいかということを知るためだったら、きっと面白くなかっただろうな、と思う。 文章を書くことを職業にしたいと思わない理由はいくつかあるけれど、一番強いのは自己満足に浸っていたいという欲求だと思う。職業にすると、他者の評価を考慮する必要があるけれど、自己満足にも浸れて、他者にも評価される文章を書けないから、前者を選んでいるのだろう。 職業は別にある。

別次元の現実

『STEEL BALL RUN 21』 を読んだ。 冒頭で、別次元に逃げる大統領に次元をまたいでぶつけられるものとして、重力が紹介される。 この部分を読んで、 『ワープする宇宙』 ( 感想 )を思い出した。 『ワープする宇宙』の著者リサ・ランドール(物理学者)の仮説では、宇宙は無数のブレーンからなり、今認識されているのはその一つと言っていたはず。 そして重力だけがブレーンをまたぐことができるらしい。 でも、ブレーンは『Steel Ball Run』で描写されるような別次元ではないだろうと思う。 Steel Ball Runで描写される別次元は、量子力学における多世界解釈に近い気がする。 あくまで思ったり気がするだけで、漫画の読み込みも物理の理解も浅いけれど、正しく理解しようとは思っていない。 こうしてこじつける無責任な空想こそ楽しい。

機械のように考える人間か人間のように考える機械か

『Boy’s Surface』 を読んだ。 『Self-Reference ENGINE』 ( 感想 )、 『烏有此譚』 ( 感想 )に続いて、円城塔作品3冊目。 発想がエキセントリック。語り手が数学的構造体だなんて。 数学的構造体が何かはよく分からないけれど。 チューリング・マシンを模した話も面白かった。 まさか、自分がマシン側になるとは。 3作品を続けて読むと、時間はまっすぐ進んでいるという理解が固定観念じゃないか、と疑いたくなる。