『ラカンはこう読め!』を読んだ。
『先生はえらい』(感想)にラカンが出てきたのが、本書を手に取ったきっかけ。
ラカンに関する予備知識は、職業は精神科医で著作は難解らしいということくらいだったので、その難解らしい著作の読み方が書いてあるのかと思って本書を読んでみた。
入門書の割には、未定義のまま用語が導入されるため、ついていくのは難しい。
それでも、いくつか『先生はえらい』と繋がるところがあったので、面白かった。
例えば、途中に出てくる次の一文は、先生と弟子の関係に繋がっていく。
『先生はえらい』(感想)にラカンが出てきたのが、本書を手に取ったきっかけ。
ラカンに関する予備知識は、職業は精神科医で著作は難解らしいということくらいだったので、その難解らしい著作の読み方が書いてあるのかと思って本書を読んでみた。
入門書の割には、未定義のまま用語が導入されるため、ついていくのは難しい。
それでも、いくつか『先生はえらい』と繋がるところがあったので、面白かった。
例えば、途中に出てくる次の一文は、先生と弟子の関係に繋がっていく。
「分析家は私の症候の無意識的な意味をすでに知っている」と仮定したときにはじめて、患者はその意味に到達できる。そして、超えていく。本書ではこの仮定した相手を〈知っていると想定される主体〉と呼んでいる。しかし、本書によるとそれは、〈信じていると想定される主体〉の例外に過ぎないという。
〈知っていると想定される主体〉というのは、副次的な現象であり、ひとつの例外に過ぎない。つまりそれは信じていると想定される主体という、より根本的な背景の前にあらわれるということである。このとき、想定している主体と想定されている主体とは、どのようか関係にあるのだろうか。