原美術館で『現代美術に魅せられて―原俊夫による原美術館コレクション展』を見てきた。
草間彌生作品やロイ・リキテンスタイン作品のドット模様を眺めていて、こういうコントラストがはっきりしたのが好きになったのはいつからだったろうか、と自問する。点描のような淡く浮かび上がるようなイメージばかりを好んでいた時期もあったのだけれど。アニメやマンガの表現――明確な主線やスクリーントーンの影響か。
奈良美智作品もおもしろかった。小部屋(子供部屋?)一杯にいろいろなものが散らかっていて、どんな子供が使っていたのだろうかと細部に目が惹き付けられる。たとえば、床に積み上げられたカセットテープのラベル。
ひとつメタレベルを上げると、ナムジュン・パイクのメディア・アートが壊れたままだったのが印象的だった。ブラウン管テレビを使っていたので、きっと廃盤になって代替品を入手できなくなったのだろう。もし、そのテレビがオープンソース・ハードウェアだったら――つまり設計や仕様が公開されていたら、再生できたのかな。
ソフトウェアみたいに、モノそのもの(実行ファイル)ではなく、素材(ソースコードやライブラリ)や作成ツール・手順(コンパイラとビルドスクリプト)、設置条件(実行環境)をアーカイヴするというアプローチもあるんじゃないか、と空想する。固有性に重んじる文化とは相性が悪いけれど。
もうひとつ一歩下がってみると、作品だけじゃなく作品を展示している建物もおもしろかった。もう少し正確に言うと、建物と展示品の関係がおもしろかった。
もともと邸宅として設計された建物を美術館として使っているので、庭に展示された作品を窓から眺めたり、中庭に出て彫刻を眺めたりできる。建物の構造と一体化した作品もあった。先ほどの、奈良美智作品もそう。「小部屋(子供部屋?)」は文字通りの意味で、パーティションで展示用に作られた空間ではない。
この展示は前後期構成で、3月21日から後期が始まる。また見に行こうかな。
◆
草間彌生作品やロイ・リキテンスタイン作品のドット模様を眺めていて、こういうコントラストがはっきりしたのが好きになったのはいつからだったろうか、と自問する。点描のような淡く浮かび上がるようなイメージばかりを好んでいた時期もあったのだけれど。アニメやマンガの表現――明確な主線やスクリーントーンの影響か。
奈良美智作品もおもしろかった。小部屋(子供部屋?)一杯にいろいろなものが散らかっていて、どんな子供が使っていたのだろうかと細部に目が惹き付けられる。たとえば、床に積み上げられたカセットテープのラベル。
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ひとつメタレベルを上げると、ナムジュン・パイクのメディア・アートが壊れたままだったのが印象的だった。ブラウン管テレビを使っていたので、きっと廃盤になって代替品を入手できなくなったのだろう。もし、そのテレビがオープンソース・ハードウェアだったら――つまり設計や仕様が公開されていたら、再生できたのかな。
ソフトウェアみたいに、モノそのもの(実行ファイル)ではなく、素材(ソースコードやライブラリ)や作成ツール・手順(コンパイラとビルドスクリプト)、設置条件(実行環境)をアーカイヴするというアプローチもあるんじゃないか、と空想する。固有性に重んじる文化とは相性が悪いけれど。
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もうひとつ一歩下がってみると、作品だけじゃなく作品を展示している建物もおもしろかった。もう少し正確に言うと、建物と展示品の関係がおもしろかった。
もともと邸宅として設計された建物を美術館として使っているので、庭に展示された作品を窓から眺めたり、中庭に出て彫刻を眺めたりできる。建物の構造と一体化した作品もあった。先ほどの、奈良美智作品もそう。「小部屋(子供部屋?)」は文字通りの意味で、パーティションで展示用に作られた空間ではない。
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この展示は前後期構成で、3月21日から後期が始まる。また見に行こうかな。