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畳んで開いて - 都市をたたむ

『都市をたたむ』を読んだ。今まであまり考えたことがなかったけれど、こうして言われてみると現実味のある、人口減少フェーズの都市の話。


前提として、日本は人口が減っていく。この予測は固い。多数の移民を受け入れるでもしない限り、現在の年齢構成に従って推移していく。

少し横道に逸れたけれど、この本では、人口が減少していく状況において、どう利用できる都市がよいか? という議論が繰り広げられる。

どういう経緯があってこの街はこうなっているのか? という逆問題に関心があって、都市計画関連の読み物を渉猟し始めたので、こういう順方向の議論が新鮮。中でも印象的だったのが次の3点。都市計画というと、都市とはどうあるべきか? みたいな大上段からのビッグピクチャを想像していたので。

  • 主語が都市ではない。都市のための都市ではなく、人のための都市を志向している。
  • スクラップアンドビルドではなく現状を踏まえ、都市がどう変わっていくのが現実的か分析している。
  • 分析にあたって、都市に働く二方向の力ーートップダウン(公的な都市計画)とボトムアップ(私的な地主の視点)から掘り下げている。

ざっくり記憶に強く残った結論は、やがてコンパクトシティになるとしても、急にはならなずスポンジ状態を経由するというものだった。タイトルの「たたむ」という言葉のイメージからは離れるけれど、確かに都市は中心(交通の要所など)から広がるけれど、巻き戻しのように外縁部から縮んでいったりはしなさそう。ぽつぽつと空き家が目立つようになっていくという未来の方が現実味がある。


余談になるけれど、どれくらい先のことになるかはともかく、人口ではなく労働力なら、ロボットやAIで補われるかも。あるいは、ロボットやAIが事実上の人口としてカウントされるようになったりして。

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