『妖怪学新考』を読んだ。
不安や恐怖それから問題行動の仮託先としての〈妖怪〉の有用性について、考え直すいいキッカケになった。
おかげで、たまたま『妖怪ウォッチ』を見たとき、「妖怪のせい」が自分の目に免罪符のように写り、無責任過ぎやしないかとモヤモヤしていたのがスッキリした。
「妖怪のせい」にすると、大きなメリットがある。それは、問題を〈妖怪〉として〈人〉と切り離せること。これで「〈私〉対〈あなた〉」という構図から「〈私達〉対〈問題 (= 妖怪)〉』という構図に置き換えやすくなる。こういう風に問題に向かうのは、ファシリテーションで使われるテクニック。
「妖怪のせい」ではなくて「あなたのせいだ」と当人を責めたって、きっと問題は解決しない。むしろ、まず間違いなくこじれる方向に向かう(そう考えるのは、先日読んだ『人を動かす』の影響か)。
不安や恐怖それから問題行動の仮託先としての〈妖怪〉の有用性について、考え直すいいキッカケになった。
おかげで、たまたま『妖怪ウォッチ』を見たとき、「妖怪のせい」が自分の目に免罪符のように写り、無責任過ぎやしないかとモヤモヤしていたのがスッキリした。
「妖怪のせい」にすると、大きなメリットがある。それは、問題を〈妖怪〉として〈人〉と切り離せること。これで「〈私〉対〈あなた〉」という構図から「〈私達〉対〈問題 (= 妖怪)〉』という構図に置き換えやすくなる。こういう風に問題に向かうのは、ファシリテーションで使われるテクニック。
「妖怪のせい」ではなくて「あなたのせいだ」と当人を責めたって、きっと問題は解決しない。むしろ、まず間違いなくこじれる方向に向かう(そう考えるのは、先日読んだ『人を動かす』の影響か)。