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荒ぶるテスタブル - テスタブルJavaScript

Testable JavaScript『テスタブルJavaScript』を読んだ。ざっと目を通して、どんなことが書いてあるかは分かったけれど、精読はしていない。

タイトルの割にはJavaScriptのテスタビリティに関する議論が薄くて、ツールに関する話が目立ったのでちょっと期待からズレていた。もしかしたら、よく読めなかった3章に書いてあるのかな。

章構成はこうなっている。3章までがツールに依存しない一般論。4章以降はツール (主にYUI Test)に依存した記述が多い。
1章 テストに適した JavaScript
2章 複雑さ
3章 イベントベースのアーキテクチャ
4章 ユニットテスト
5章 カバレッジ
6章 結合テスト、パフォーマンステスト、負荷テスト
7章 デバッグ
8章 自動化
付録 A クライアント JavaScriptのテスト事例

1章がタイトル通りテスタブルJavaScriptについての内容。タイトルになっている割にはちょっと物足りない。2章は複雑さを測るメトリクスの話。コードの量というプリミティブなメトリクスから、循環的複雑度(サイクロマチック数)、ファンイン・ファンアウト、結合度と工学的なメトリクスにまで渡っている。3章は理解できていない。アーキテクチャに関する議論を理解できるほどJavaScriptに精通していない。

4章以降はツール依存の話なので完全に斜め読み。とにかく色々なツールが出てくる。ツールの調査のために読んだわけではないので、

JavaScriptのテスタビリティを上げたいなら、『メンテナブルJavaScript』の方が取っつきやすいし、充実しているように思う。

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