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in nine

Hesitation MarksNine Inch Nailsの"Hesitation Marks"を聴いている。2009年の活動休止宣言から4年、今年に活動を再開して、最初の作品。8枚目のアルバムで、Halo Numberで言うとHalo 28。

これまでアルバムごとに出ていた色が、この1枚に詰め込まれている。"Year Zero"の無機質さとか、"The Slip"のバンドらしさとか、"Ghost I-IV"のアンビエントな雰囲気とか。でも、"The Downward Spiral"のような歪んだギターやシャウトはない。

その"The Downward Spriral"(特に1曲目の"Mr Self Destruct")の印象に覆い隠されていた曲のバリエーションに、改めて気付かされた感じ。ダークなんだけれどユーモラスな曲もあって、面白い。

印象的だったのが、"Everything"。こういう開放感さえ感じる曲は珍しい。"Copy of A"、"Came Back Haunted"(下の動画)のような攻撃的な曲から始まって、ダウナーな"Find My Way"を経て辿り着くからこそか。いい流れ。



曲のバリエーションも豊富だし、音からは作り込まれている感じを受けるし、聴き込もう。

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