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広告洪水

広告史上におけるテレビの牙城が崩れつつある。
広告出稿量ナンバー1企業のトヨタは、レクサスの顧客となる高所得層はテレビをあまり見ないというデータを持ってますから、レクサスのテレビCMをほとんど打っていません。
パチンコ解禁は断末魔? 信頼も文化も失ったCMの未来(前編) : 日刊サイゾー
今のところ、テレビからシェアを奪っているのは、インターネットだ。
しかし、もちろん広告はどこにでも載せられる。
トヨタ自動車は、新車購入者が広告を車両に取り付けることで報酬を得る新たな新車購入サポート「カーバイト」を開発して導入すると発表した。
広告付の新車、6万円サポート…トヨタ カーバイト(レスポンス) - Yahoo!ニュース
現代版サンドイッチマンと言ったところか。
同じく一般の車を広告塔にしようというアプローチを、映画でもやっている。
映画「少年メリケンサック」(宮藤官九郎監督、来春公開)の宣伝ステッカーを車に張ると、1リットル当たり5円引きになる。
asahi.com(朝日新聞社):車に映画のステッカーでガソリン5円引き - 日刊スポーツ芸能ニュース - 映画・音楽・芸能
どちらも、一般の車に広告してもらう代わりに、金銭的インセンティヴを与えている。
この調子で、しばらくは広告が増え続けるんじゃないだろうか。

でも、反動が来るはず。
どこにでも載せられるからと言って、広告であふれていればうんざりする。
すでにその兆しは見え始めている(失敗したけれど)。
おそらく、何がプリインストールされているかについては、当のメーカーでさえ正確に把握できていないというのが本当のところだろう。パソコンは広告媒体と目されており、マーケティング契約は次々と入れ替わるため、消費者が次に買うパソコンにどんなガラクタが搭載されているのかは誰にもわからない。
ソニー騒動で改めて考える、プリインストール・アプリの現状と対策 | WIRED VISION
ここでいう「ソニー騒動」のソニーは米ソニー。
「ガラクタ(広告)載せないのも売るけど、その分値段が上がります」と言ったら、猛反発を喰らってしまったというのが顛末。

載せることができた広告を載せなかったことによる収入減をユーザに転嫁してしまったから、残念な結果に終わってしまったけれど、これをある少数の広告主に転嫁することはできないのだろうか。

つまり、排他的に広告を載せる権利を売ることはできないのだろうか。
仮にできるとすれば、それはどんなメディアだろうか。

そういうメディアが現れて、増えてくれると、記事を読んでいる隣で、ちらちら動き回るFlash広告にいらいらする自分としては嬉しい。

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