コピー・キャットが殺人を通じて発信するメッセージには「内容」がない。フーコーの振り子を思い出した。
「これは記号です。みなさん、解釈してください」というのがそのメッセージの唯一の「内容」である。
(中略)
まるで無内容な歌であっても、「これはもしかすると、あまり知る人のいない『あの古歌』をふまえているのではないか」というような「おせっかいな」解釈を呼び寄せる可能性があるからである。
コピーキャット社会
(これもまた一つの「おせっかいな」解釈だ)
ソーカル事件にも通じるものがある。
(これもまた一つの「おせっかいな」解釈だ)
『∵』のように、点が三つあれば顔に見えてくるくらいだから、
(ほら、ハニワに見えてきた)
何でも何かには解釈できる。
解釈できない情報は、処理できない。
観察には、理論負荷が必要だ。
このエントリにも「内容」はない。
このブログにさえも「内容」はない。