ついなちゃんの喋ったむずかしいこと[1]が趣味で本を読んでいるトピックと重なっていたので、プラスアルファの情報や違う角度からの情報を補ってみます。別に写真に詳しくない人間が偏った知識で書いているので、学術的な裏付けなどは特にないです。
16~7世紀の画家カラヴァッジョみたいにそれを応用したとされる画家もおったし、19世紀のユトリロみたいに写真をモロパクr……ゲフンゲフン、大いに参考にした芸術家はんもいた……
— 【ついなちゃん】プロジェクト🗻公式(CV:門脇舞以)11/1は #ボイロついな誕2020 ❣ (@Tuina_chan_PJ) November 6, 2020
そうした写真芸術との相克の結果として、後の印象派だったりキュビズムだったり、抽象絵画だったりに繋がっていく(続
有名所だとフェルメールもカメラ・オブスキュラを使っていたと言われています[2]。その後、「写真のような」絵画がなくなったかというともちろんそんなことはなく、コロナウィルスの影響がなければ超写実絵画の襲来 ホキ美術館所蔵が渋谷Bunkamuraで開催されていたはずでした。
一方、写真は写真で芸術として認められていないという悩みを抱えていました。それを覆すため、19世紀後半に絵画のような写真を作ろうという動き〈ピクトリアリズム〉がありました[3]。ピクトリアリズムでは撮影後の加工も行われましたが、RAW現像やレタッチで仕上げられる現代のデジカメと重なるところがありおもしろいです。
写真芸術と言えば2011年にアンドレアス・グルスキーの作品が写真作品として過去最高額の430万ドルの値が付けられたというニュースを思い出します。これは加工が重ねられた写真らしくない(映り込みが取り除かれレンズの歪みがない)作品で、評価軸としての「らしさ」と「あえて」の違いについて考えたくなります(考えていない)。
それはそれとして、わざわざ美術館に足を運んで観賞するとなると人を動かすのは絵画の方で、フェルメール展が2018年10月5日~2019年2月3日の4ヶ月で68万の人を動かした[4]のに対して、2017年度の東京都写真美術館の年間来場者数が38万人でした[5]。
日本の浮世絵が当時のパリ芸術界でおおいに持てはやされたというのは…
— 【ついなちゃん】プロジェクト🗻公式(CV:門脇舞以)11/1は #ボイロついな誕2020 ❣ (@Tuina_chan_PJ) November 6, 2020
いわば新古典主義的リアルなデッサン力が珍重されていた当時の画壇が、よりすごい写真技術に挑戦されて、そのアイデンティティが揺らいでいた時に、リアルでないのに高みに至っている芸術表現として、完成度の高い美術体系が(続
で、抽象絵画の走りがロシアのマレーヴィチ。どうも『黒の正方形』が有名なようです[6]。抽象絵画ってなんやねんという話ですが、この人は「何か」を描く限り絵画はそれに従属してしまうので、それを避けるために意味を排した絵画のための絵画を描いたみたいな話でした(わからん)。
芸術論とかそのあたりは最近「分析美学」という分野を知ってたまに本を読んだりなどしています。『ビデオゲームの美学』なんかおもしろかったです。あとWebで読めるところだとバーチャルYouTuberエンゲージメントの美学――配信のシステムとデザインも。分析美学は哲学的な文脈でいうと「分析哲学」の一つで、これは大陸系哲学(カントとかはこっち)と対比的に語られ、イギリスやアメリカではこちらが強いみたいです[7]。
最後に趣味の創作の話をすると、絵にせよ何にせよ、自分としては過程が楽しいとか、とにかく吐きだしたい(早口になるあれの言葉じゃないバージョン)とか、そんな感じなのでまあ気楽なものです。ボトルレターを流している感覚に近いのかも知れません(流したことないけど)。
[2] フェルメールのカメラ―光と空間の謎を解く
[3] 東京都写真美術館 学芸員コラム
[4] 2019年展覧会入場者数TOP10。1位はフェルメール展の68万人|美術手帖
[5] 東京都写真美術館年報 2017-2018
[6] ロトチェンコとソヴィエト文化の建設
[7] 「分析哲学」の使命は"論理の明晰化"にあり – 『フィルカル』編集長・長田怜氏 | academist Journal