『自分探しと楽しさについて』を読んだ。
自分にとっては、下記三部作より、ずっと読みやすかった。
自分の思考と、本書の内容が近いのだと思う。
著者は、本書を「まえの三冊よりも、さらに抽象的で、読みにくいものと想像する」と評価しているから、自分の思考は抽象的なのだろう、と想像する。
思い当たる節がある。具体的に喋っているつもりなのに、抽象的で分かりにくいと言われたことがある。
多分、このエントリィも抽象的で分かりにくいものなのだろうな、と想像する。
抽象的で読みにくいと想像されるものを読んで、具体的に喋ったつもりでも抽象的だと形容される言葉で感想を書いているのだから、そうなるのが自然だ。
一体、どれだけの人に伝わるだろうか。
著者は、観察範囲の一割くらいが「森博嗣の文章を読んで、「ああ、そうか」と思うのではないか」と書いている。
自分の場合、一割もいないと思う。「何か楽しいことない?」と訊かれたときに、何度か「何か楽しいことしたら?」と答えたことがあるけれど、同意されたことがない。本書を読んで「ああ、そうか」と思うような思考なら、同意されても良さそう。
最大の原因は自分の文章の拙さにあるのだろうけれど、さらに抽象的で分かりにくいことを伝えようとしているので、余計伝わらないのだろう。実際、他の場合でも、思っていることを素直に言葉にしているつもりのときほど伝わっていないな、と感じる。
「どうしてだろう?」と悩まないでもないけれど、本書を読んで「まぁ、そんなものか」とも思えた。
これだけでも随分な収穫。
自分にとっては、下記三部作より、ずっと読みやすかった。
自分の思考と、本書の内容が近いのだと思う。
著者は、本書を「まえの三冊よりも、さらに抽象的で、読みにくいものと想像する」と評価しているから、自分の思考は抽象的なのだろう、と想像する。
思い当たる節がある。具体的に喋っているつもりなのに、抽象的で分かりにくいと言われたことがある。
多分、このエントリィも抽象的で分かりにくいものなのだろうな、と想像する。
抽象的で読みにくいと想像されるものを読んで、具体的に喋ったつもりでも抽象的だと形容される言葉で感想を書いているのだから、そうなるのが自然だ。
一体、どれだけの人に伝わるだろうか。
著者は、観察範囲の一割くらいが「森博嗣の文章を読んで、「ああ、そうか」と思うのではないか」と書いている。
自分の場合、一割もいないと思う。「何か楽しいことない?」と訊かれたときに、何度か「何か楽しいことしたら?」と答えたことがあるけれど、同意されたことがない。本書を読んで「ああ、そうか」と思うような思考なら、同意されても良さそう。
最大の原因は自分の文章の拙さにあるのだろうけれど、さらに抽象的で分かりにくいことを伝えようとしているので、余計伝わらないのだろう。実際、他の場合でも、思っていることを素直に言葉にしているつもりのときほど伝わっていないな、と感じる。
「どうしてだろう?」と悩まないでもないけれど、本書を読んで「まぁ、そんなものか」とも思えた。
これだけでも随分な収穫。