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mieli - 複成王子

『複成王子』を読んだ。『量子怪盗』の続きで、〈ジャン・ル・フランブール〉三部作の二作目。

前作『量子怪盗』はSF×怪盗ルパンだった。今作『複成王子』はSF×千夜一夜物語。精霊 (ジン) をはじめ、魔術めいた用語が飛び交う。なんて言ったらいいか、アラビアンパンク。

前作の話をほとんど忘れていたけれど十分楽しめた。冒頭で振り返りがあるし、メインとなる舞台は全く異なるし、巻末には訳者による用語集がついている。

特にクライマックスはテンションが一気に上がった。明かされる謎、派手な戦闘、怪盗らしい置き土産。SF世界はユニークだけれど、物語は王道を行っている。

それからシリーズをつなぐ縦糸 = ジャンやミエリの過去がようやく明かされてきたのがうれしい。前作ではほとんど分からず、置いてけぼりを食っていたので。

というわけで、三作目"The Causal Angel"の翻訳が楽しみだ。どんな邦題になるのかな? 『因果天使』とかだろうか?

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