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6月, 2009の投稿を表示しています

PLUTO完結

『PLUTO 8』 を読んだ。 8巻で完結。読みやすい長さで嬉しい。 『Monster』や『20世紀少年』のように何十巻と続かなくて良かった。 ロボットの感情が主題の一つだと思うのだけれど、みんなあまりにも感傷的で、ときどき感情移入できなくなった。 ロボットはロボットなりの独自の思考様式を持っていてしかるべきだと思う。

摩擦の必要性

This work by SO_C is licensed under a Creative Commons Attribution-ShareAlike 3.0 Unported License . 一線の一閃 の絵に色を着けてみた。 Intuos4 Medium を買ったので、試しに使ってみたかったというのが本音。 問題の描き味だけれど、つるつるしていなくて描き易い。 適度に摩擦があって良いと思う。 それはともかく、久しぶりに塗ったせいか色の選択が覚束ない。

I see but I do not observe.

『考えなしの行動?』 を読んだ。 読んだだけだ。 本書は読むための本ではない。 写真を眺めるための本だ。 しかし、写真集でもない。 訳者の言葉を借りると、本書は「ドリル」である。 収録されている問題に取り組むことで、デザイン(=設計)手法およびデザインされた製品の評価方法に触れることができる。 その手法・評価方法は端的に言うと、「観察」だ。 どこを観察すれば良いのか? という着眼点を本書はガイドしてくれる。 シャーロック・ホームズの、以下の言葉を思い出す。 「見るのと観察するのでは大違いなんだぜ」

余白は余りではない

This work by SO_C is licensed under a Creative Commons Attribution-ShareAlike 3.0 Unported License . 線が引かれていないあるいは色が塗られていない部分のことを、「余白」と言う。 白い部分を指して「余っている」と形容するのは、白地があると埋めたくなるからだろう。 確かに、余白を見ると塗りつぶしたくなる(=余白は塗る行為をアフォードする)。 その欲求をコントロールして白地を残すのは、意外と難しい。

一線の一閃

This work by SO_C is licensed under a Creative Commons Attribution-ShareAlike 3.0 Unported License . 久しぶりの絵。 視線が強くなり過ぎた。 もう少しふわふわした感じにしたかった。 でも、描き終わったときに意図通りだ、と思うことは滅多にない。 描いている間は思うように描いているつもりのだけれど、描き終えて見返すとこんな風に描こうとしていたのだっけ? となる。 描いているときに、「これだ」と思う線をどうやって決めているのだろうか。 自分のことながら、不思議に思う。 ところで、クマの手描きプリントTシャツを手描きするってメタだな、と思う。

トランスフォーム!

トランスフォーマー/リベンジ を観てきた。 巨大ロボットが変形して戦っている様が、見ていて楽しい。 前作以上に製作費用がかけられているらしく、トランスフォーマーの種類も多いし、戦闘シーンも長い。 それだけで満足。 そのせいか上映時間が2時間半もあるけれど、良い意味で考える必要のない展開なので、事前に不安に思っていたほど苦痛ではなかった。 トランスフォーマーが活躍し出すまでを少し長く感じたけれど、必要な間ではあったと思う。 年甲斐もなくおもちゃが欲しくなってきた。 バンブルビー がいい。 サムにはあんなにかわいいのに、ディセプティコンには容赦ないところがいい。

絶え間ない答えはない

『事実に基づいた経営―なぜ「当たり前」ができないのか?』 を読んだ。 内容は、 『なぜビジネス書は間違うのか ハロー効果という妄想』 ( Mirror House Annex: 運は実力の内か で言及)に近い。 ただ、本書はもう少し穏やかだ。『なぜビジネス書は間違うのか』が間違いだと切って捨てている通説も「 半分だけ 正しい」と表現している。 この表現の仕方からイメージできるように、本書は中道を説いている。 だから、事実はあっても答えはない。 問題に直面したら、どうしたらいいんだろう、と迷う。 答えは外にない。 足下の事実を拾い集めることが、ベターな判断には必要だ。 事実を拾い集めて分かることは、きっと当たり前のことだけれど、当たり前のことを自分はどれだけできているだろうか?

New Old

『黒夢 SELF COVER ALBUM「MEDLEY」』 を聴いている。 自分はSADSの2ndアルバム『バビロン』から聴き始めたので、黒夢時代は知らない。 辛うじて同級生にファンがいたことは覚えている。 だから、その時と比べた評価はできない(する気もない)。 ソロは聴いているのでそれと比較すると、これでもハードに聞こえる。 単体で聴いた印象は、メロディーは懐かしいけれど音は古臭くない。 面白いなぁ、と思う。

誰が誰を養うか

『「食糧危機」をあおってはいけない 』 を読んだ。 食糧は必需品だ。誰かが精算する必要がある。 しかし、生産者のメリットは、他の商品と比べたら小さく見える。 例えば、食糧の需要には、限界がある。 誰だって一定以上は、金を貰ったって食べられない。 ましてや、金を払って食べるはずがない。 そう考えると、世界的に見て、食糧生産者は減っていくんじゃないだろうか。 本書によると、単収もまだまだ高くできるようなので、生産者が減っても十分な食糧が流通するだろう。 そうなったら、食糧生産者の相対的な貧しさも軽減されるだろう。

続後前

『前巷説百物語』 を読んだ。 本書は、 『巷説百物語』 、 『続-』 、 『後-』 に続く、巷説百物語シリーズの4巻目。 又市が百介と出会う前の物語が描かれている。 従って、出版順では4巻目だけれど、物語の時系列順では最初に来る。 このシリーズの好きなところは、短篇集のように読めるところ。 一晩に一話ずつ読み進めていくというルールを自分に課して読めば、睡眠時間を大幅に削ることはない。 しかし、短篇集のように読めるからと言って、本書は短篇集ではない。 読み進めるにつれ、物語が進んでいく。 結局、最後までルールを守りきれず、最後の3話『かみなり』・『山地乳』・『旧鼠』を一気に読んでしまった。 休前日だったからという言い訳を自分にしている。

視点が支点

hydrangea by SO_C is licensed under a Creative Commons 表示 - 継承 3.0 非移植 License . 紫陽花を見てきた。 右上の写真は、携帯電話で撮ってきた中の1枚。 陽光に照らされて浮かび上がった葉脈と葉のコントラストが面白い。 もちろん花も綺麗だけれど、そんなことは写真に撮るまでもなく分かっている。 それを綺麗な写真として残すことも悪くないけれど、そういう写真は何も自分が撮ろうとしなくても、もっと巧い人が(多くの場合仕事で)撮っている。 趣味で撮っているのだから、自分が気に入ればいい。

あくまで

Kasabianの 『ルナティック・アサイラム(初回生産限定盤)』 を買った。 邦題は原題の一部。 原題は"West Ryder Pauper Lunatic Asylum"と長い。けれど、略してしまうのは安直ではないだろうか。 1stのきな臭さあり、2ndの仰々しさあり、本作で初めて聴かせる曲調あり、とバラエティに富んだアルバムだと思う。 1曲目から4曲目までの流れが好き。その後も、8・11曲目のシングル曲(Vlad The Impalor, Fire)がアクセントになっていて飽きない流れになっている。 発売日から毎日のように聴いている。 10日が経った今のところ、まだ飽きていない。

影だからこそ

『境界線上のホライゾン2〈上〉』 を読んだ。 良いところで終わっている。 来月発売の〈下〉が楽しみ。 今回はトーリの影を薄く感じた。 相変わらずキャラは濃いんだけれど、Iと同じノリだったからだと思う。 代わって今回印象が強いのは、点蔵・クロスユナイト。 下巻も表紙が表紙だけに、つい期待してしまう。 ※表紙は 電撃文庫&電撃文庫MAGAZINE 新刊情報 を参照。

My Mind

『マインド・ウォーズ 操作される脳』 を読んだ。 話があちらこちらに飛んでいて、読み進めるのに苦労した。 それとも本書のメインテーマ「神経倫理学」が広範な分野にまたがっているために、そう感じたのだろうか。 自分の感覚では、人間は既に脳を操作している。 脳に作用する薬を使うのは、操作ではないのだろうか。 反対にまだ実用化されていないのは、脳の活動状況から思考をモニタする非侵襲性の方法。 ただ、脳を操作していない。状況を監視しているだけだ(本書にある通り)。 この手の話だと、グレッグ・イーガンの小説が面白いと思う。

ラストトラス

『アンチ・ハウス』 を読んだ。 仕舞わないと見苦しいものばかりを所有している生活こそ、反省すべきでは? この一言が鮮烈だった。 なるほど確かに。 自分の場合、仕舞いたくないものは2種類ある。 一つはディスプレイしたいもの。 これはそもそも仕舞わないために手に入れているのだから当然。 もう一つは頻繁に使うもの。 理由は出したり仕舞ったりするのが面倒だから。 ずぼらなんだと思う。 だから、この2つにはお金をかけても良いと思っている。 逆にお金をかけたくないのは、たまにしか使わないもの。 何か、勿体ない使い方だと思う。贅沢とも言うかも。 そういうのもたまにはいいかも。

収束

『目薬αで殺菌します』 を読んだ。 本書は森博嗣のGシリーズの7冊目。 φ, θ, τ, ε, λ, ηに続くα。 あれ、このシリーズこんなに面白かったっけ? と思った。 本作でようやく謎が謎として成立しつつあるところが、大きいと思う。 海月(くらげ)は、それに関係しているのだろうか? 関係しているとしたら、どういう形だろうか?

本体

『銀河不動産の超越』 を読んだ。 構造が著者の 『ZOKU』 と同じだな、と感じた。 連作短篇形式で定型を作りだして、最後に壊している。 ところで、本書はカバー写真が素敵だ。 読む前後でがらりと印象が変わった。 一見とてもシンプルなんだけれど、読んだ後に観察するとイメージが湧いてくる。 表紙も含めてコンテンツなんだな、と改めて認識する。 この手の当たり前のことは、ときどき思い出さないと見過ごしがちだ。

問答歌

『子ども兵の戦争』 を読んだ。 本書によると、子ども兵が増えた理由の一つに軽火器がある。 扱いの容易な軽火器の低価格な流通が、子どもを戦力たらしめている。 本書は『最底辺の10億人』( Mirror House Annex: 何が人の行動を決めるのか )や、『貧困のない世界を創る』( Mirror House Annex: Micro is also beautiful )とも通じるものがある。 本書の前に『子どもの貧困―日本の不公平を考える』( Mirror House Annex: 逆臣 )を読んでいるため、比較してしまうけれど、日本の子どもはこれに比べればと思わないでもない。 それでも、日本社会において相対的に貧困ならやはり、それは幸せなことではないと思う。 これらの本を読んでいると、清貧なんて夢物語ではないか、と思う。 そう言えば、貧すれば窮すという言葉もある。

逆臣

『子どもの貧困―日本の不公平を考える』 を読んだ。 行政が所得を再分配すると、低所得者層の生活がますます苦しくなるらしい。 そこまで逆進的だったとは。 ひどい話だと思う。 何のための政治なんだろうなぁ、と軽い絶望感が……。