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『水族館の文化史―ひと・動物・モノがおりなす魔術的世界』を読んで

『水族館の文化史―ひと・動物・モノがおりなす魔術的世界』を読みました。 『動物園・その歴史と冒険』がおもしろかったのでこちらにも手を出してみた次第。

構成には類似点があります。「第1章 水族館前史」で古代~近世の水族との関わり方を概観したのち「第2章 モダンでレトロな水族館の世界」以降、私たちの知る水族館やその未来について語られます。

似た部分があるからこそ、かえって陸生動物と水生動物の違いが浮き彫りになっているように思いました。最大の違いは人類と同じ空気を吸えないこと。水槽ごしに見ることしかできず、音も匂いも共有できません。住んでいる世界が違います。

水槽ができるまで、その世界は水面から見下ろすことしかできませんでした。水族館があるのが当たり前の時代では、意外と想像しがたいことです。

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